2025/06/30
2025/06/28
2025/06/17
「DTOPIA(デートピア)」を読んだ/難しい。
第172回芥川賞受賞作「DTOPIA(デートピア)」(安堂ホセ著 2014年11月 河出書房新社刊)を電子書籍で読んだ。実に難しかった。97
恋愛リアリティーショー・デートピアが,フランス領ポリネシアのボラ・ボラ島で開催された。白人のミスユニバースに選ばれるため,世界から10人の男が参加する。
その一人Mr.東京の「キース」と,語り手の「モモ」の関係で話は展開する。かつて「モモ」は性別違和の兆候で,「キース」によって施術を受けている。「モモ」は,日本人の父とポリネシア系フランス人の母に生まれている。
この話ではトランスジェンダー,人種差別,核実験,植民地支配など様々な問題を取り上げている。ポリネシアでは,フランスが核実験を行った。また,植民地ポリネシアにフランスの兵士が残した足跡についても語られている。
2025/06/07
塩の道・秋葉街道二日目/掛川から菊川・小笠まで歩く
2025年6月6日,塩の道・秋葉街道を掛川市仁藤町交差点から菊川市下川平(旧小笠町)まで約12kmを5時間強で歩いた。塩の道・秋葉街道は,牧之原市相良から掛川・森町を経て秋葉山まで続き,遠く信州へ向かう街道である。昨年5月に天浜線ウォーク五日目で歩いた区間(森町から掛川まで)は,塩の道・秋葉街道でもあるので,今回をその二日目とした。
東海道仁藤町交差点を南下し,東海道新幹線・東名高速道路をくぐり,東名高速掛川インター付近,小笠教育会館西の登山口から登ると,陣馬峠に出る。ここは,1568(永禄11)年に,徳川家康が掛川城の朝比奈泰朝を攻める際に陣を置いた場で,掛川城を見下ろすことができる。
陣馬峠を下ると,一面の茶畑。上小笠川が流れる平地は,麦畑の麦秋と田植えを終えた水田の緑が鮮やか。やがて,菊川市に入ると,上小笠川は菊川と合流。写真は,牛渕川。堤城の緑が美しかった。右端に見えるのは堤城出丸。堤城出丸を回り込むように進み南下する。菊川市下川平の小笠郵便局前で今回の歩きは終了。寄り道を含めると約16km。熱中症になりかけ,夜になっても顔がほてっていた。
2025/06/04
2025/05/26
2025/05/24
2025/05/23
山形旅行一日目/米沢城
2025年5月19日から21日まで,友人の運転で山形旅行へ行ってきた。実は昨年,台風10号の襲来で中止せざるを得なかった,そのリベンジ旅行。
第一日目は,米沢城跡の上杉神社と上杉伯爵邸・上杉博物館を見学した。
米沢城は歴仁元(1238)年,長井時広が築城。その後伊達氏の本拠地となり,この地で伊達政宗が出生している。戦国時代には米沢城主は度々変わったが,慶長5(1600)年,関ケ原の戦いで西軍であった上杉景勝が30万石で入封した。途中厳封されたものの,上杉家は明治維新まで続いた。現在,米沢城本丸跡には上杉神社が鎮座している。米沢城は,続日本の100名城。
米沢城二の丸跡には,上杉伯爵邸が建つ。現在の建物は、大正14(1925)年に建設されている。国の登録有形文化財に指定されている。庭園も美しい。
ホテルモントビュー米沢泊。
2025/05/14
地中海世界の歴史6/「われらが海」の覇権
地中海世界の歴史6/「われらが海」の覇権(本村凌二著 講談社選書メチェ 2025年)を読んだ。95
本編はカルタゴを倒して地中海の覇者となった共和政ローマが,「運命の寵児カエサル」の時代を経て,その後継者オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を得て帝政へ移行。そして,暴君ネロまでの時代をえがいている。そして,ヴェスヴィオ火山の噴火による都市ポンペイの悲劇が起こる。世界史をきちんと学んでこなかった自分にとっては,新鮮な知識となった。でも,たくさんの王や貴族・人物が出てきて,まったくせいりがつかない。
カエサルは紀元前100年の生まれ。カエサルはポンペイウスと「三頭政治」を行うが,やがて対立しエジプトに逃れたポンペイウスを追いエジプトに渡る。エジプトでクレオパトラに出会う。カエサルはローマにもどり独裁者となるが,共和政を擁護する元老院議員派の反感を買い,前44年にブルトゥスに暗殺される。カエサルの養子オクタウィアヌスは,政敵を倒しアウグストゥスの称号を受け,前27年にローマ帝国が成立する。
古代ローマの歴史は,ローマの建国叙事詩などに記述されている。多くの詩人も出ている。また,ローマ市内の多くの建造物に碑文が残されている。
2025/04/23
蒲生邸事件をよんだ。
「蒲生邸事件」(宮部みゆき著 文春文庫 2000年刊)を読んだ。94
大学受験生孝史が予備校受験のため宿泊していたホテルが火事になり,時間旅行者平田に助け出される。助け出されたのはそのホテルが建っていた旧蒲生邸で,二二六事件が起こった1936(昭和11)年2月11日だった。二二六事件が起こった2月11日,退役陸軍大将の蒲生憲之が自決する。ただ自決ならば側にあるはずの拳銃が見つからず,誰かが殺したのではないかという疑問も残る。
平田はこの蒲生邸の下働きとして雇われていて,やけどを負った孝史は平田の甥として紹介され,女中のふきの世話になる。
1945(昭和20)年5月,空襲よる火事で蒲生邸が延焼したことを,タイムトリップで見た孝史は,ふきに一緒に出ようと言うが,ふきは断った。孝史とふきは,ふきの誕生日4月20日正午に浅草雷門で逢う約束をして,孝史は現代に帰った。そして,4月20日に現れた女性はふきの孫であった。ふきは6年前にがんで亡くなっていて,孝史に手紙を残していた。
文庫本で680ページにも及ぶ長編で,とても読み応えがあった。この作品は,1996年の日本SF大賞を受賞している。それにしても,あとがきで「蒲生憲之陸軍大将はまったく架空の人物」と記述されているのにはビックリ! それを読むまで,蒲生邸事件は本当にあったと思っていた。
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