虹を見て
母親が,共済組合の扶養親族としては認められなくなり,国民健康保険加入の手続きに,豊橋市役所に出かけた。面倒な事例だったと思うが,国保年金課の方が,大変親切に応対してくれた。老人医療の係の人も,親切だった。なれない申請手続きで不安だっただけに,ありがたかった。
帰りがけに虹を見た。市役所で清々しい思いをした後なので,虹を見て,うれしかった。
そういえば,高砂親方がモンゴルで二重の虹を見たとうれしそうに言っていた。そのことを批判する人もいたが,高砂親方は,慣れないモンゴルで虹を見て,朝青龍の回復へ希望を見いだしたのかもしれない。
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コメント
萩さん、こんばんは。
小学校高学年の頃だったか、中学校に入った頃だったか、国語の教科書に「しゃぼん」か「シャボン玉」と言う詩が教材として載っていたことがありました。
その内容と言うのは、シャボン玉を見てそれに感動する気持ち、、、子供は素直にシャボ玉を見て感動するのに、大人になるとそんな気持ちも忘れてしまう、、、と言うことで、子供の頃に持っていた素直な気持ちを大切にしたい、、、そんな内容だったと思います。
高砂親方じゃないですけど、私も以前勤めていた会社を辞めた後、夕方、夕焼けを見たことがありました。
その時思ったのは「夕焼けって、こんなに奇麗だったんだぁ~」と言うことでした。
思えば、普段夕焼けが見れる時間は、事務所の中であれこれやっていたのですから、夕焼けを見るチャンスがなかったんですね。
そ~思うと、虹にしても夕焼けにしても、見れば感動するものが、日常的に見れないことが残念だなぁ~って思いました。
投稿: ☆丸 | 2007/09/07 00:22
コメントありがとうございます。
私は,高砂親方に味方するわけではないですが,
虹を見たとうれしそうに言っている人を
批判することもないと思ったのです。
自然を見て感動する心を忘れないようにしたいものですね。
投稿: 萩さん | 2007/09/07 21:46