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2015/10/24

朝鮮人街道/野洲~近江八幡

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10月24日(土),横田さんと,朝鮮人街道を,滋賀県野洲市の行畑の追分から近江八幡市の小幡まで歩いた。
朝,10時前に野洲駅着。一旦,駅の一筋南の朝鮮人街道を,西に向かい行畑の追分に向かった。この追分は,11年前,一回目の中山道歩きのときに通っている。だが,まったく記憶になかった。今回は追分を西に向かい,蓮照寺にある追分の道標を見てきた。そして,ここから中山道を東に引き返し,追分から朝鮮人街道に入った。朝鮮人街道の家並みは,静かだが昔の風情を残していて,武佐宿に向かう中山道より快適に歩けた。
日野川を渡り,近江八幡市に入ると,左前方に城山がきれいに見えて来る。そしてしばらく歩くと,右手に朝鮮通信使が休憩した金台寺がある。うかつにもこの寺を見学しないできてしまった。近江八幡市立資料館付近に来ると,観光客がぐんと増えた。写真は,朝鮮人街道の標柱。
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横田さんの案内で,八幡堀も見学できた。野洲から近江八幡まで約12km,中身の濃い街道歩きだった。

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2015/10/18

石薬師宿

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東海道歩き二回目の5日目。加佐登駅から,石薬師宿・四日市宿を経て富田駅まで,約20kmを6時間で歩いた。
石薬師宿では,佐佐木信綱資料館を見学した。佐佐木信綱は,石薬師出身の文化人で,「夏は来ぬ」の作詞で有名。確か一回目のときは資料館を見学していない。歩きの後半で,加佐登駅まで急いでいたからだろう。今回は,生家も見ることができた。
また,石薬師宿では,東海道沿いが信綱かるた道として整備されていた。
石薬師宿を過ぎると,四日市市内は単調な街道歩きが続く。見所は日永の追分ぐらいだが,逆光でうまく撮れなかった。新しいデジカメだから,逆光補正ができるのだろうが,まだ使いこなせない。
しかし,今日は暑かった。頑張って,冨田駅まで歩き,帰路についた。

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2015/10/17

DSC-HX90V

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新しいデジカメを購入した。SONYのDSC-HX90V。10年間使っていたDSC-H1が,先日壊れてしまったのだ。前回修理したときと同じ症状だが,もう修理不能だろう。今度買ったのは,型番からしてDSC-H1の後継機。コンパクトだけど,30倍ズームの優れもの。街道歩きのときに使えるように,ケースも購入。落とさないようにしなければ・・・。
花も撮るので,マクロ機能も気になったが,一番近くて5cm。このデジカメは,レンズを被写体に近づけると,自動でマクロモードになるらしい。近くが見づらくなっているので,ありがたい。
メディアはメモリースティックも使えるらしいが,SDカードを買った。
この先10年は使いたい。


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2015/10/03

亀山宿

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東海道歩き二回目の4日目。関宿(東半分)から亀山宿を経て庄野宿まで約16kmを歩いた。一回目の東海道歩きのときには,二日に分けて歩いている。今回は,ほほ同距離を一日で歩いている。もう少し歩けたが,石薬師宿からは,関西線から離れてしまうので,加佐登駅で終了した。
ちょうど体育の秋と言うことで,関宿と亀山宿では,運動会の放送の音が賑やかだった。
亀山宿には本陣や脇本陣が残っていないので,残念だ。でも,亀山城多門櫓は,見栄えがする。
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亀山市内には,野村一里塚と和田一里塚の二つの一里塚がある。野村一里塚は国の史跡だ。
和田一里塚は,復元したものだそうだが,立派なものだ。和田一里塚の東の坂の下にミモザが植わっている。前に歩いたときは3月だったので,ミモザ(ギンヨウアカシア)が黄色く鮮やかだった。私が,花に興味をもつきっかけになった花だ。この写真では目立たないが,少し大きくなったようだ。あって,よかった。

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2015/10/01

浅田次郎「一路」を読んで

先月,電子書籍で浅田次郎著「一路」を読んだ。
父の死により突然道中御供頭となり,西美濃田名部(関ヶ原)から江戸まで,中山道の参勤交代を差配することになった小野寺一路の物語だ。

原作を読んでみようと思ったきっかけは,NHK・BS時代劇「一路」第5回「涙の和田峠」で,吊り橋が切れて通れず迂回したというシーンを見たことだ。自分が実際に歩いたとき,和田峠の西側には吊り橋でなければ渡れないような深い谷はなかったことを思い出したからだ。
BSでは,迂回路を進む途中で嵐となり,やむなく荷物を捨てて行くことになっている。渡辺大演ずる殿様左京大夫が,荷物を捨てろと言う場面は,迫真の演技だった。でも,原作で荷物を捨てるのは与川崩れで,和田峠を越えるのは雨ではなく吹雪の中となっている。

また,BSでは,馬籠で身売りされる村娘スワを救った一路は,スワに西美濃の国分家を頼るように言う。スワは国分家の娘・薫の身代わりとなり将監の一味にとらわれる,手に汗握る展開となっている。しかし,原作では,馬籠宿でスワから事情を聴いた殿様が,諏訪大社にスワの幸せを願うというほのぼのとした内容となっている。

BS時代劇の脚本を書いた渡邉睦月氏は,NHKのホームページで,原作の「一路」を読んで,自分が脚本の仕事を始めた頃のことを思い出し,「一路の気持ちを理解し,寄り添うことができた。」と言っている。ドラマを通して,(一路のように)前向きな気持ちで頑張ろうというメッセージだ。

浅田次郎氏の原作では,小野寺一路だけではなく,蒔坂左京大夫をはじめ,側用人の伊東喜惣次や,蔵役の佐久間勘十郎など,登場人物それぞれの心をていねいに描いている。特に,つねに家来や領民のことを思い,大胆に行動する殿様の様子が生き生きと描かれている。特に,田名部の領地・領民を一所懸命に治めると言って,加増という上様からのほうびを断ったところは,とってもかっこうよかった。

テレビドラマも原作の小説も,どちらもよいと思った。

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