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2018/03/26

復活寄席・橘座

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昨日,名古屋市中区の愛知産業大学工業高校・橘座で,元先生たちの落語会「復活寄席」があった。大学の落語研究会のOBの元先生が,昨年から行っている。口座に上がったのは4人の精鋭。「そだねー。」というはやりの言葉もさっそく取り入れ,笑いにしていた。師匠たちの絶妙な語り口に,感心した。客席とのやりとりの間(ま)もさすが。学校の授業でも,子どもたちの反応をみながら,発言を引き出すことが重要。楽しかった。

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橘座とは,1664(寛文4)年にこの地に芝居小屋が作られたことが始まりで,以来「芸所名古屋」の中心的な場所となっていたそうだ。芝居小屋自体は,大雨風や地震の被害を受けて無くなっていたが,1913(大正2)年,芝居小屋跡地に学校が建てられた。そして,2001(平成13)年,愛知産業大学工業高校・橘座となって復活した。写真は,橘座の裏手にある「芝居濫觴跡(橘座)」の説明板。

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2018/03/21

ない!戸塚の大踏切/平塚宿から戸塚宿へ

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平成30年3月18日,東海道歩き二回目の28日目。今回は,平塚駅から藤沢宿を経て,戸塚駅まで約22kmを,約7時間で歩いた。戸塚駅から茅ヶ崎までは☆丸さんとteraさんが,茅ヶ崎から戸塚駅までは引き続いての☆丸さんと,そしてとらぞうさんが一緒に歩いてくれた。地元の三人の案内で,道をまちがえることなく安心して歩くことができた。感謝!感謝!

まず,馬入一里塚と馬入渡川会所跡の碑を見学。二つとも一回目の東海道歩きでは見学していないところで,よかった。そして,茅ヶ崎市に入り,相模川の橋脚遺跡を見学。発見されてから年月がたつため,保存処理がされ,見えるのは樹脂製のレプリカだそうだ。

残念ながら南湖の左富士を見ることはできなかったが,茅ヶ崎市街地は整備されていた。西半分は自転車通行帯が水色のカラー舗装ですがすがしかった。以前の街道歩きのときは,自転車のチリーンチリーンで不愉快な思いをしたが,今回は控えめな3チリーンで済んだ。かえって茅ヶ崎市内を抜けてから,大きい音で鳴らされ,驚いた。それにしても,茅ヶ崎や辻堂には素敵な松並木があって,良い気持ちだった。

藤沢宿は,東海道沿いが電柱地中化できれいだった。紅太陽藤沢本町店で昼食。担々麺がおいしかった。

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遊行寺坂を登り,いよいよ横浜市戸塚区に入る。でも,この頃になると,疲れで☆丸さんととらぞうさんから遅れることが多くなった。足も痛くなってきた。それでも,原宿,大坂と進み,何とか戸塚宿上方見附を通過。やれやれ。戸塚駅周辺も整備され大都会に変っていた。国道1号は地下に潜り,東海道線の踏切はなくなっていた。

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2018/03/04

吉田城鉄櫓下石垣発掘調査現地説明会

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吉田城鉄櫓下石垣発掘調査現地説明会に行ってきた。
吉田城については続日本の100名城に指定され,また見学に行こうと思っていた。今日,かねてから発掘調査をしていた石垣の現地説明会があった。はじめに鉄(くろがね)櫓のある本丸広場で,豊橋市文化財センターの方が吉田城の概略を説明した。吉田城は,今川方,戸田氏,徳川方,豊臣方のそれぞれ重要な戦略拠点であることが分かった。
そして全体での説明の後,南多門,北多門,川手櫓,石垣発掘調査地など五か所ほどで,ボランティアの方が説明をした。石垣発掘現場が今日の中心だが,たくさんの見学者がいて説明をしているそばには近寄れなかった。そこで,石垣の上から見る。この石垣は高石垣で,15mぐらいある。ずいぶん高い。

今回は,石垣の基礎部分を調査したそうで,高石垣を支えた基礎構造が明らかになっている。また,軟弱な砂地を掘り込み,砂礫土・粘質土・川原石などを固めて整地してある層も見つかっていて,これは東海地方初の発見だという。説明会前に一応スマホで写真を撮ったが,この写真は,上から撮った説明風景。

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これまで,吉田城には天守閣はないと言われていたが,実際にはこの鉄櫓が天守閣であったようだ。鉄櫓の石垣は,池田輝政の時代に築かれたもので,主にこの地域で産出するチャートを野面積みにしている。
その他の石垣には,名古屋城で使われなくなった石が使われていて,石を供出した藩の刻印がされている。


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