2019/09/29
2019/09/26
矢作神社と日本武尊像
勉強会の取材で,ヤマトタケルの東征伝説地を巡っている。今日(令和元年9月26日)は,西尾市の幡頭神社,岡崎市の矢作神社・菅生神社に行ってきた。
矢作神社には,ヤマトタケルが東征の折,住民から対岸の高石山(現在の甲山・かぶとやま)のあたりに賊がいて困っていると聞き,矢作部(やはぎべ)に一万本の矢を作らせたという言い伝えがある。それが矢作神社の名前の由来となっている。矢にする竹は流れの速い川の中洲にしかなかったが,一羽の蝶が人の形となり,川の中洲に生えていた竹を取ってきたという。
矢作神社には,陶器製の日本武尊像がある。皇紀2600年(昭和15年)の記念に,1943(昭和18)年に建立されたそうだ。製作者は,高浜市の杉浦庄之助さん。高浜は,三州陶器瓦の町。ふむふむ。
2019/09/22
2019/09/16
2019/09/15
一宮市三岸節子記念美術館
昨日,テレビ愛知(テレビ東京)「新 美の巨人たち」で三岸節子を放送した。番組では,「自画像」と「さいた さいた さくらがさいた」を中心に近藤サトさんが紹介した。
近藤サトさんは,三岸節子記念美術館で,二十歳のときに描いたという「自画像」に出合う。サトさんは「ああ,鳥肌立つね。」という。「目が燃えている。冷たい闘志ですよ。」と表現した。最後に待ち受けているのは,「さいたさいたさくらがさいた」という93歳の時に描いた作品。「迫りくる桜ですよ。」「桜じゃなくて,三岸節子そのものですよ。」という。
たまたま,友人と8月17日に訪れたばかり。このときは,あまり作品の印象がなかった。この番組を見て,三岸節子のすごさがわかった。三岸節子の三つのことば「生きた」「愛した」「描いた」だという。
大磯のアトリエ,中野の自宅兼アトリエなども見ることができて良かった。
2019/09/14
ネコハギとミンミンゼミ
昨日が仲秋の名月。吉祥山に秋がやってきた。昨日までの猛暑がうそのようにすがすがしい朝だ。頑張って登ろう,今日で70か月連続。
登り始めると,ネコハギがきれいにそしてたくさんが咲いていた。こんなに状態がよいのは初めてだ。吉祥山ボランティアの会による整備の賜物かもしれない。ありがたい。ただ,登山道に肝心のハギが見当たらなくなったのは寂しい。
夏を惜しむように,ツクツクボウシやミンミンゼミが鳴いている。中腹を過ぎたあたりで,ひときわ大きい声で,ミンミンゼミが鳴いていた。何とか写った。動画で撮ろうと少し動いたら,とんで行ってしまった。
9月にはめずらしく,山頂から富士山が見えた。もう少し見ていようと思ったが,スズメバチがいたので,早々に退散した。
2019/09/03
氷上姉子神社と大高城
名古屋市緑区大高町火上山の氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)に行った。氷上姉子神社は,熱田神宮摂社で宮簀媛命(みやずひめのみこと)を祭っている。宮簀媛命はヤマトタケルが東征したときの尾張国の妻といわれる。東征から帰ったヤマトタケルはこの火上(ひかみ)の地で宮簀媛命との日々を過ごすが,伊吹山の賊退治に草薙の剣を宮簀媛命に預けたまま出陣し帰らぬ人となった。
氷上姉子神社の栞によると,この地は「火高火上(ほだかひかみ)」といったが,火事の被害が多かったため「大高氷上」となったそうだ。JR大高駅から氷上姉子神社まで歩いて約25分の道のり。昔ながらの民家や酒蔵の壁が黒く塗られているのは,火事除けのためかもしれない。
途中に,大高城址公園があるので,ちょっと寄り道。大高城は,今川義元方の城であったが,織田信長方が包囲し兵糧攻めをしたそうだ。今川義元は1560(永禄3)年,この大高城を助けるために出陣し,桶狭間で戦死している。大高城跡は,織田信長が築いた鷲津砦跡・丸根砦跡と共に,国指定の史跡となっている。土塁や空堀も残っているようだが,蚊の攻撃にいち早く退散してしまった。
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