2022/09/25
2022/09/19
2022/09/15
北宿城跡と兒神社
西方寺門前の道を東に進む。県道151号と名鉄竹鼻線の小さい踏切を渡り,回り道をしながらやっと白山神社(北宿城跡)に着く。この間1km。ちょうど地域の方が二人で草刈りをしていた。一人は北宿の区長さんだそうだ。もう一人の方は,昔このあたりに街道を示す物があったと言うが,耕地整理で無くなったという。
鎌倉時代には,北宿と南宿の間に鎌倉街道が通っていたそうだ。北宿城は,1556(永禄9)年に備前岡山から移住してきた福井五郎兵衛が築城し近郊を領したとされている。今は,城の面影はないが,広場の一角に地蔵堂がある。福井五郎兵衛の墓だと伝わっている。
大恵寺を見学し南下すると,鎌倉街道の及ヶ橋がかかっていたという及川だと思われる水路があった。そして,西方寺から約3km,笠松町北及に兒神社があった。鳥居前の道には,鎌倉街道の標柱が立つ。「鎌倉時代(1192ー1333年)京都と鎌倉を行き来する道は,小熊・北宿・市場から及川を渡って黒田へ出た。」とある。
鳥居前の道を東へ進むと,木曽川の堤防に出た。
2022/09/14
2022/09/12
2022/09/11
愛知の鎌倉街道を歩く/一日目・南宿から玉ノ井
愛知の鎌倉街道を歩くことにした。ここでいう鎌倉街道は,京と鎌倉を結ぶ京鎌倉往還のこと。
名鉄竹鼻線南宿駅から,一旦美濃路との追分「坂井の道標と辻地蔵」(羽島市足近町)まで行き,そこからスタート。
美濃路は,境川の堤防上を西に進む。鎌倉街道は,東へ。道標には,親鸞聖人御𦾔跡・右西方寺道とある。
西方寺,白山神社(北宿城跡),大恵寺,及川を経て,笠松町北及の兒子神社を見学。木曽川右岸堤防に出て南下,尾濃大橋を渡った。
尾濃大橋を渡ると,一宮市玉ノ井。玉ノ井には三角屋根の織物工場が残されている。賀茂神社には,霊泉玉ノ井がある。地名の由来となっているようだ。写真は,葛利毛織工業の建物。国登録有形文化財となっている。
本当は,黒田宿の名鉄新木曽川駅まで歩く予定だったが,暑くて熱中症の心配があったので,名鉄尾西線の玉ノ井駅から帰った,
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