下津城跡と鎌倉街道の碑
下津城(おりづじょう)は室町時代中期の築城で,1400(応永7)年,尾張国守護の斯波義重が守護所を置いたといわれている。応仁の乱後,尾張国守護代の織田伊勢守家・織田敏広が入城したが,1476(文明8)年に,分家筋の織田大和守家・織田敏定に敗れ,下津城は焼失している。その後,清洲城を居城とする敏定と,岩倉城を居城とする敏広が,尾張国を分割統治することになる。
下津城は,現在の稲沢市立下津小学校周辺だといわれている。
下津城の南には住吉神社があり,その西隣に鎌倉街道址の石碑がある。碑文には,
「この地は古く折戸の宿といって鎌倉街道が通り,交通の要路を占めて戦国時代には下津城も築かれたが,西方に岐阜街道が整備されるとともに街並も移転して,街道としての機能を果さなくなった。」とある。
下津地域の鎌倉街道歩きでは,主に岐阜街道(鮎鮨街道)を歩いている。
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