東海道五十七次講演会
豊橋市民センター(カリオンビル)で,豊橋市二川宿本陣資料館主催の東海道五十七次講演会が行われた。
講演は次の通り。
①東海道町民生活歴史館館長(元JR東海専務)の志田威氏が「教科書も伝え始めた大坂への東海道五十七次」
②草津市草津宿街道交流館館長の八杉淳氏が「道の国・近江と東海道草津宿」
③豊橋市二川宿本陣資料館館長の和田実氏が「東海道と二川宿」
志田氏は蒲原宿の出身。東海道町民生活歴史館となっている志田邸は,醤油を扱う商家で,建造物は国登録有形文化財となっている。その志田氏は,徳川幕府が定めた宿駅制を正しく学校教育で伝えるべきであると熱弁。東海道は一般的に京までの五十三次(品川~大津)と知られているが,本来は髭茶屋追分から,伏見・淀・枚方・守口の四宿を含めた五十七次であることを強調した。五十七次については認識していたが,人馬継立と継飛脚のことは,改めて再認識した。
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コメント
東海道五十七次というのは、はじめて知りました。
その場合は、終着は京都ではなくて、大坂ということになりましょうか。
投稿: 玉村の源さん | 2022/11/28 07:04
東海道五十七次の終着は,大坂高麗橋になります。東海道53番目の宿場・大津宿から,髭茶屋追分で京街道に入り,伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿を経て高麗橋に至ります。高麗橋の最寄り駅は京阪本線淀屋橋駅。本当は高麗橋を終着駅にしたかったそうですが,実現しなかったようです。
京阪本線の伏見桃山から淀屋橋間は,ほぼ京街道(東海道)の経路となります。
旧街道のことになると,話が止まらなくなります。
投稿: 萩さん | 2022/11/28 17:56
ありがとうございます。
そうすると、京都は素通りといいますか、中心部はよけて、伏見宿が京都ということになりましょうかね。
確かに、大坂に向かうにはその方が近そうですよね。
おもしろいです。
ありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2022/11/29 07:49
江戸幕府は,天下の台所・大坂を直轄地としました。参勤交代の大名たちは,大坂から京都を経ず大津へ抜け,東海道を上ったのでしょう。
東海道57次は,道中奉行管轄の街道だそうです。
京都を経ないのは,西国大名が朝廷と接触しないようにするためともいわれています。
投稿: 萩さん | 2022/11/29 20:06