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2023/07/05

三浦綾子/海嶺

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先月末までに,「海嶺〈上・中・下〉」三浦綾子著・角川文庫 1986(昭和61)年 を読んだ。3巻あわせて1200ページにもなる超大作だ。
物語は,1832(天保3)年10月10日,江戸に向け熱田港を出港した千石船「宝順丸」が遠州灘で遭難し,生き残った3人がアメリカの商船モリソン号で日本に送り届けられるも,幕府の異国船打払令により帰国できなかった史実を描いている。
海嶺〈上〉では,宝順丸に乗り組んだ船長・水主(かこ)の話と,遠州灘で嵐に遭い千石船の帆柱を切り倒し漂流することになったこと,漂流が1年2か月にも及び14人の乗組員のうち11人が死んだこと,生き残った岩松(岩吉),音吉,久吉が,アメリカ西海岸フラッタリー岬に漂着したことが描かれている。
海嶺〈中〉は,先住民の奴隷となっていた3人を,イギリスのハドソン湾会社のマクラフリン博士が助け,フォートバンクーバーを経て,イーグル号でハワイへ,そして南アメリカ大陸南端のホーン岬を過ぎ,イギリスのロンドンに着くまで。
そして,海嶺〈下〉。ゼネラル・パーマー号でマカオに着いた3人は,ドイツ人の牧師ギュッツラフの家で,聖書ヨハネ伝の日本語翻訳を手伝うことになる。翻訳が完成し,3人は九州で遭難した船の4人とともにアメリカの商船モリソン号で,帰国の途につく。しかし,喜びにあふれた漂流民が乗るモリソン号に対し,浦賀沖で大砲がうたれた。引き返して寄港した薩摩でも・・。漂流民の悲しみは,相当なものだっただろう。
幕府の鎖国政策の非常な面をみた。3人の漂流者は,ヨーロッパ人と接し,キリスト教に触れたことを常に恐れていた。それでも,祖国日本に帰りたいという願いを,江戸時代の日本は叶えなかった。悲しい歴史だ。

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