2024/11/30
2024/11/28
第27回ゆかいな仲間達写真展
Netの友人michiさんのお誘いを受け,第27回ゆかいな仲間達写真展に行ってきた。会場は,豊川市国府町のCafe Gallery 栄知村(えじそん)。michiさんの作品は,道端のひまわりの前でバイクを写した1枚。michiさんはバイクを3台お持ちで,常に愛情を持って整備しつつ,ツーリングを楽しんでみえる。愛車カワサキA1もきれいなひまわりの前でうれしそう。
久しぶりにmichiさんとおしゃべりして,楽しかった。
2年前の「第2回バイク・ソロツーリストの写真展」の記事。
2024/11/23
2024/11/21
地中海世界の歴史3/白熱する人間たちの都市
地中海世界の歴史3/沈黙する神々の帝国 エーゲ海とギリシャの文明(本村凌二著 講談社選書メチェ 2024年)を読んだ。前編の地中海世界の歴史2/沈黙する神々の帝国 を読んでから,実に3か月もかかってしまった。
本編は主にBC500年からBC300年にかけての,ギリシャの古典期に焦点を当てている。読むのにあまりにも時間がかかってしまったので,前の方は忘れてしまった。
とにかくアテナイ(アテネ)とスパルタのポリスの違いがくわしく書かれていた。アテナイはギリシャの中心的ポリスで,直接民主制をとっていた。市民は戦争に行く義務がある。その市民は,何人もの奴隷を持ち,奴隷に働かせていた。奴隷は,アテナイが戦いで勝ち,負けた相手の国から連れてきた者もいる。奴隷から生まれた者は,奴隷の身分のまま。アテナイの繁栄は,奴隷制の上に成り立ち,市民は奴隷制を当然な者としていたということには驚かされた。女性は家から外へ出ず,買い物などは奴隷に行かせていたという。男女差別の世界だ。
一方,スパルタは,子供を幼いうちから軍事施設のような学校で鍛錬し,戦いのために育て上げていたという。これがスパルタ教育か。スパルタは,アテナイとの戦いに勝ったが,人口が少なくやがて衰退していく。アテナイには,パルテノン神殿を始め有名な遺跡が残っているのに対し,かつてのスパルタの土地は,今ではほとんど何も残っていないそうだ。
哲学者,ソクラテス,プラトン,アリストテレスのこともくわしく書かれていて,勉強になった。
2024/11/10
養老町/桜井白鳥神社
牧田宿から伊勢東街道を南東に進むと,養老町桜井の集落となる。桜井白鳥神社は,ヤマトタケルゆかりの神社である。古事記の記述からすると,この地は伊吹山で敗れたヤマトタケルが,居醒めの清水で覚醒し,杖衝坂・尾津へ向かう途中の当芸(たぎ)の野にあたるのではないかとされる。この地には古代から伊勢街道が開かれ,ヤマトタケルが通ったことから「みゆきみち」とよばれていた。
「境内に井戸があって,その水質が,桜のように甘美であるというので村名を桜井と名付けたといい,ヤマトタケルが伊吹山からの帰りにここで休息し,この水を賞味した」という。また,池の伝承には,日照りが続いたとき,桜井の白鳥神社の池の水をかき出すと必ず雨が降ったとされる。境内の「日本武尊遺跡桜の井」は,町史跡に指定されている。
なお,この南の上方(うわがた)集落にも,日本武尊を祭神とする上方白鳥神社がある。
2024/11/09
2024/11/04
2024/11/03
伊勢東街道一日目/関ヶ原から養老まで
伊勢東街道一日目。関ヶ原から牧田宿を経て養老駅までの13.5km,休憩・寄り道を含めると約5時間で18kmを歩いた。この道は,米原と濃州三湊(養老町)を結ぶ九里半街道と重なり,関ヶ原の戦いのときに薩摩軍が退路に使った伊勢西街道は,牧田宿で分かれる。
関ケ原町から大垣市の旧上石津町に入ったところの烏頭坂には,薩摩軍のしんがりをつとめた島津豊久の墓が残る。
牧田宿は,九里半街道の中継地点で,江戸時代には尾張藩の庇護を受け栄えたという。牧田宿には二軒の五井家が問屋を務めていた。写真は,東五井家の旧郵便局で,大垣市の都市景観遺産となっている。
歴史的な町並みや常夜灯などもあったが,トイレ利用のために写真撮影もそこそこにファミマに急いだのが心残り。
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