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2026/05/24

「がいなもん 松浦武四郎一代」を読んだ。

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「がいなもん 松浦武四郎一代」(河治和香著 2018 小学館刊 豊橋市図書館で借りる)を読んだ。107
「がいなもん、ちゅうのは、伊勢の方では、途方もない、とか、とんでもない、って意味ですなあ」

 松浦武四郎というのは、蝦夷地を北海道と命名したことで知られる。この本では、松浦武四郎の一代を、「武四郎涅槃図」の作製を武四郎から依頼された河鍋暁斎の娘豊(とよ=河鍋暁翠)の視点でえがいている。「武四郎涅槃図」とは正しくは「北海道人樹下午睡図」。松浦老人が依頼してから何年もかかっているので、暁斎は娘豊に催促に来る松浦老人の相手をさせている。明治16,7年ごろ、豊は松浦老人が集めた骨董品の絵をかいたり、松浦老人と東京のたくさんの知人宅に同行したりするなかで、若い時の6回(私人として3回、公務として3回)にわたる北海道探検の話を聞いている。豊は後に東京女子美術学校の教授となった。

 松浦武四郎は1818(文化15)年、 伊勢国須川村(現松阪市小野江町)で生まれた。生家の前を伊勢参宮街道が通り、1830(文政13)年のおかげ参りを目にして、「いつか、旅に出たい」と考える。13歳の時、津の儒者平松楽斎に弟子入りしている。武四郎は15歳の時、竹川竹斎から世界地図を見せてもらい、「蝦夷地」を知ることになる。そして、16歳の時出奔して江戸に向かった。一度は連れもどされたものの、再び旅に出た武四郎は様々なところで様々な人と出会った。
 旅の途中で、「遠く蝦夷地にはロシアの船が頻繁に出没している」と聞いた武四郎は、「蝦夷地を探検して、測量してみよう」と思った。武四郎が初めて蝦夷地へ渡ったのは、1844(弘化2)年、28歳の時であった。武四郎は、くまなく蝦夷地を探索する中で、アイヌの人との交流を図っている。当時アイヌの人々は、松前藩や和人からひどい搾取を受けていた。男性は村から駆り出されて低報酬で働かされ、女性は和人の妾にされ、人口がどんどん減ってしまったという。武四郎はそんなアイヌの人々の待遇を良くしようと現状を記すが、松前藩から命を狙われることになる。どうにもならない武四郎は、再度の北海道探検をあきらめ、骨董収集に精を出すことになる。1888(明治21)年に亡くなった。

 伊勢街道を歩いた時、松浦武四郎生家は見学したものの、松浦武四郎記念館の見学はスルーしてしまった。記念館には「武四郎涅槃図」が展示してあるという。ぜひ、行かなくては・・。

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2026/05/14

UC CARD解約

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UC CARDを解約した。就職したときに初めてつくったクレジットカード。他のカードを使っているので、最近はほとんど使っていなかった。50年弱利用で寂しい気もするが、断捨離していかなければ。

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2026/05/06

WHAT'S HAGISAN アクセス 147000

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WHAT'S HAGISANのアクセスが147000となった。正真正銘、自らGET!!

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2026/05/05

水戸街道四日目/取手宿から藤代宿を経て若柴宿まで

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2026年5月2日,水戸街道を取手宿から藤代宿を経て若柴宿までの約12kmを,寄り道を含めて約6時間で歩いた。今回もは街道歩きの仲間TさんとHさんとの三人での道中・・・だが、前回同様Tさんがとても詳しく取材しているので、Hさんと私は先へ先へと進んでしまった。
取手駅東口を出発し、まず大鹿山長禅寺に向かう。臨済宗妙心寺派の古刹で、931(承平元)年に平将門が創建したと伝わる。写真の長禅寺三世堂は、外観2層・内部3層の「さざえ堂」形式。以前、会津若松のさざえ堂(旧正宗寺)に拝観したことがあるが、上り階段と下り階段が別々になっている不思議な構造。茨城県の指定文化財になっている。
そして、取手宿本陣跡染野家住宅へ。ここへは、前回の水戸街道歩きで立ち寄っているが、Tさんが間に合わないということで建物の内部の見学はしていなかった。あらためて、見学。上段の間がある立派な本陣だった。
その後八坂神社を見学後、藤代宿へ向かった。途中広大な水田地帯を一直線に進んだが、強風にあおられ、水を張った田に落ちそうだった。水田地帯を進むうちに、黄門様のTさんと助格の我々二人はかなり離れてしまった。藤代町に入り常磐線の踏切を超えたところで20分ほど待っていると、ようやく黄門様がやってきたので、三人で昼食。昼食後リスタートしても、すぐに別行動。

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藤代宿を抜け、小貝川を文巻橋で渡ると龍ケ崎市となる。筑波山がはっきり見えるようになる。佐貫の市街地を抜けると若柴宿となる。若柴宿では、重厚な門構えの家屋が数多く見られた。牛久宿に近く、本陣のようなものはなかったらしいが、旧道の雰囲気が残る素敵なところだった。若柴宿はずれの星宮神社バス停から、龍ケ崎市駅東口に向かった。Tさんは、約1時間半後の終バスだったようだ。

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2026/05/01

富山新潟旅行三日目/春日山城跡・高田城三重櫓

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三日目は、上越市の春日山城跡ものがたり館と高田城三重櫓を見学した。上越市は、直江津市と高田市が1971(昭和46)年に合併してできた市で、新潟県上越地域の中心都市である。春日山城は旧直江津市にあり、上杉謙信の居城であった。昨年の山形旅行で訪れた米沢城も上杉氏ゆかりの地。春日山城は、山頂の本丸から屋敷跡や空堀などが連続する東裾野に、堀と土塁からなる総構(そうがまえ)が築かれているのが特徴で、総構は土塁や堀の一部が復元され、春日山城史跡広場となっている。春日山城跡ものがたり館では、上杉謙信や春日山城について学習した。今回は帰路ということもあって、春日山城の山頂に登るのは断念した。

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上杉氏が会津へ転封された後、春日山城は廃城となり、徳川家康の六男松平忠輝の居城として旧高田市域に高田城が築かれた。高田城には、三重櫓が復元されている。三重櫓からは、遠く妙高山を見ることができた。晴れていてよかった。
高田城見学後、上信越道、長野道、中央高速、東海環状道、東名高速と走って豊橋へ帰った。楽しい三日間であった。運転はすべて友人、お疲れ様。

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