2017/06/18

初山宝林寺と直親墓所

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天浜線くまなくウォークのときに気になっていた初山宝林寺に行ってきた。天竜浜名湖鉄道金指駅から東へ約1kmのところにある初山宝林寺は,築約350年の黄檗宗の寺院だ。井伊谷三人衆の近藤康用(やすもち)のひ孫にあたる近藤貞用(さだもち)のとき,明国から来た独湛禅師が開山したそうだ。仏殿と方丈は中国明の様式を伝える貴重なもので,国の重要文化財だ。
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宝林寺参拝後,細江町中川にある井伊直親の墓所に立ち寄った。直親は,女城主直虎の許嫁とされる。掛川で殺された後,都田川河畔でだびに付されたという。墓所の灯籠は,井伊直弼が寄進したものという。


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2017/06/05

天浜線くまなくウォーク/金指駅から天竜二俣駅

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第2回天浜線くまなくウォークのCコース,天竜浜名湖鉄道金指駅から天竜二俣駅まで約18.5kmを,5時間で歩いた。三ヶ日駅の駐車場に車を置き,天浜線で金指駅まで行き,スタート。暑くて,スタート一時間,もう都田駅に着く頃には少しバテ気味。
それでも約3時間で宮口に到着。宮口には庚申寺という立派なお寺がありそこで休憩。少し疲れがとれた。なんでも,宮口宿は秋葉街道の宿場町でもあったようだ。後半は,風が出てよかった。
そして,鹿島橋で天竜川を渡った。きれいだった。写真は,天竜浜名湖鉄道の鉄橋。
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目的地の天竜二俣駅では,転車台の作業風景を見学した。昔は,この転車台で,蒸気機関車の向きを反対に変えていたそうだ。今は,気動車のため向きを反対にする必要はないが,車庫に入れるために向きを変えているそうだ。
珍しいものを見た。


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2017/05/18

大河ドラマ館と満光寺庭園

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自主サークル「姫街道」の会で,直虎に関係する井伊谷と新城を散策した。はじめは,浜松市北区細江町気賀のみをつくし文化センターで行われている「女城主直虎の大河ドラマ館」に行った。衣装やロケ地などの展示があった。入り口と井戸のところを除いてほとんどの展示は写真撮影ができなかった。

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龍潭寺や渭伊神社を見学した後,新城市下吉田の満光寺に行った。この寺は,井伊谷三人衆の一人鈴木重時ゆかりの寺だ。庭は小堀遠州流だそうだ。そして,柿本城跡に登った。


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2017/04/29

富賀寺庭園

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4月27日に,自主サークル「姫街道」の総会と講演会があった。
講演会では,会長の野口義彦さんが,「井伊谷三人衆 鈴木氏」という演題で講演された。井伊谷三人衆とは,井伊家にに仕えた,柿本城主「鈴木重時」,宇利城主「近藤庸用」,都田城主「菅沼忠久」の三人のことを言うそうだ。そのなかの鈴木重時のことを学んだ。

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講演会後,近藤家の墓がある新城市中宇利の富賀寺(ふかじ)へ行った。富賀寺には,素敵な庭園があり驚いた。この庭園は江戸初期に作られた池泉式庭園で,新城市指定名勝となっているそうだ。


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2017/04/24

天浜線くまなくウォーク/三ヶ日駅から金指駅

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第2回天浜線くまなくウォークのDコース,天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅から金指駅まで約14.8kmを,4時間で歩いた。三ヶ日駅の駐車場に車を置き,9時前にスタート。国道362号線を東に歩く。交通量が多く,歩道がない区間もあり,すこしこわかったが,都筑,佐久米,寸座を経て,なんとか西気賀駅へ。西気賀駅には,洋食レストラン八雲があり,そこでランチ。結構賑わっていた。
気賀四つ角を北に曲がり,外山本店で細江名物みそまん買い,パクリ。おいしい。都田川を清水橋で渡り,しばらく歩いてゴールの金指駅到着。でも,1時間に1本の列車は出たばかり。

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次の列車までに時間があったので,実相寺へ行く。金指駅から10分と書いてあった,急な上り坂で大変だった。江戸時代前期に作られた築山式枯山水庭園が美しい。

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2017/02/25

今も楽しい東海道,姫街道

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今日,豊橋市中央図書館で,平成28年度三遠南信地域資料展記念行事の講演会があり,「東海道 歩き旅の楽しみ」という演題で,話をしてきた。内容は,
1,街道歩きのきっかけ
2,五街道踏破
3,二回目の東海道歩き
4,尾張・三河・遠江の東海道 西から東へ
5,街道歩きの楽しみ
6,街道歩きの苦しみ・注意すること

4では,二回目の東海道の「宮宿から金谷宿まで18宿」の写真を交えて説明した。
だらだらとした話だったが,皆さん真剣に聞いてくださり,うれしかった。久しぶりにお目にかかる方もいて,懐かしかった。

講演会では,元豊橋市美術博物館長の後藤清司さんも,「姫街道の歴史と魅力」という演題で講演された。
姫街道のことが詳しくわかり,よかった。

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2017/02/05

小和田哲夫氏講演会

2月5日(日)午後2時から,豊川市文化会館中ホールで東三河法人会豊川支部主催の小和田哲夫氏講演会があった。小和田哲夫氏は,静岡大学名誉教授で,戦国時代の歴史研究の一人者だ。これまでも,「功名が辻」をはじめ「天地人」などNHK大河ドラマの時代考証を担当し,今年の「おんな城主 直虎」も担当している。
「戦国時代に生きた女城主と武将たち」という演題ではなされた。
小和田さんの話によると,戦国時代には女性の地位が高く,女性が家督を継ぐことがあったそうだ。女城主としては,今川寿桂尼や赤松洞松院尼,そして岩村城遠山夫人の例を紹介された。
そして,今川・武田・北条・織田・徳川の戦国大名の関係や,井伊直虎と直政の関係などを詳しく教えていただいた。
先月の,姫街道を学ぶ会での河合清江さんの講演と合わせて,直虎のことが一層理解できた。ためになった。

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2017/01/30

直虎と直政講演会

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平成29年1月27日(木)に,豊橋市石巻地区市民館で,自主サークル姫街道の会があり,河合清江さんが「直虎と直政」という題で講演された。河合さんの講演は2年連続で聞く。河合さんの講演と野口会長の補足で,いろいろなことが分かって,大河ドラマ「女城主 直虎」を観る楽しみが増えた。

この講演会でわかったことは,
1:ドラマで敵役のようになっている小野家の墓が龍潭寺にたくさんあることから,小野家は井伊家にとってそれほど悪い関係ではないこと。
2:亀之丞が逃げたのは,信濃の国,現在の高森町の松源寺で,信濃までは今川の力が及ばないことが理由だろう。
3:おとわが出家し次郎法師と名乗ったのは,男性は出家しても還俗できるが,女性は還俗できないので,次郎という男性名にしたこと。
・・・
まだまだたくさんある。
高森町の名物は市田柿。きのう久しぶりに食べたが,おいしかった。暖かくなったら,訪れてみたい。

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2017/01/28

28越境地域政策研究フォーラム

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越境地域政策研究フォーラムが,愛知大学豊橋教室で行われ,今年も午後の分科会5(越境地域と歴史・文化)に参加した。4人の先生が,それぞれの研究を発表され,いずれも興味深いものだった。
まず,愛知大学の和田明美先生は,古代東海道・東山道の「坂」「境」の話をされた。「坂」は峠を意味し,御坂峠,足柄峠,碓井峠が東国との境だそうだ。
次は,われらが群馬県立女子大学の北川和秀先生が発表された。古代の言語から駿河と遠江の発音の違いに着目していたこと,8世紀の様々な制度で三河と遠江に境界があったとするなど,納得。
そして,名古屋女子大学の竹尾利夫先生が,「参河・遠江国と古代東海道」を発表した。豊川市在住とあって,姫街道・鎌倉街道・東海道・二見の道のことを,万葉集の歌を例にとてもくわしく教えてくださった。
最後は,愛知大学の飯塚隆藤先生が,三遠の河川舟運について発表された。歴史GISデータベースの構築という,すばらしい研究をしていることがわかった。
おもしろかった。

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2016/12/25

山本勘助生誕の地

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昨日(24日)に,山本勘助生誕の地といわれる,豊橋市賀茂町鶴巻に行ってきた。生誕の碑は,大正4年に建てられたそうだ。近くには,医王山本願寺という山本家の菩提寺があり,山本勘助両親の墓がある。山門を入るとお寺の方が,親切に説明をしてくださった。下の写真は,本堂内の勘助像。
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なお,静岡県富士宮市にも生誕地とされるところがあり,NHKの大河ドラマ「風林火山」ではこちらを生誕地として話を展開している。富士宮市のHPでは,勘助の生誕地とされる地域の情報を整理して掲載してあり,きちんと「愛知県豊橋市賀茂にも」生誕地の碑があることを明記している。このHPによると,隣接する富士市比奈に医王寺という寺があり,山本家の菩提寺となっていて,勘助の墓碑が残されているということで,興味深い。

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