2018/09/09

湖北五山/大福寺

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浜名湖・湖北五山の一つ,浜松市北区三ヶ日町の大福寺へ行ってきた。875(貞観17)年,教待上人が鳳来山に建てた幡教寺がはじめで,約300年後に現在地に移り,大福寺となったという。
大福寺へは,三ヶ日の市街地から県道68号を北上し,東名高速道路を越えて進む。途中三叉路を直進すると,朱塗りの大福寺仁王門がそびえ立つ。ここでは,鎌倉時代の金剛力士像がにらみをきかせている。
仁王門を過ぎ,新東名高速道路をまたぐと,大福寺である。

まず本堂を見学。本堂横には,半歳桜が咲いていた。
そして,宝物館と庭園を見学。
宝物館には,国指定重要文化財の「金銅装笈」「普賢十羅刹女像」など,貴重なものが展示されていた。

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庭園は室町時代作庭とされ,静岡県指定名勝となっている。

これで,湖北五山の龍潭寺,宝林寺,摩可耶寺,方広寺,大福寺を全て回った。
美しい庭園のある古刹が多くて素敵な地域だ。

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2018/05/15

寺野三日堂と渋川東光院

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渋川寺野インターで下りると渋川つつじ公園へ行く途中に,寺野三日堂という寺があった。正しくは,直笛山法蔵寺の観音堂。このお堂では,毎年一月三日,国指定重要無形民俗文化財の「寺野のひよんどり」が行われる。
寺野には,信濃から井伊谷に帰る途中の井伊直親が逗留し,「青葉の笛」を残したとの言い伝えがある。直笛山はその言い伝えから来ているとの説があるらしい。

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渋川には,亀之丞(井伊直親)が,今川方の追っ手から信濃に逃れるときに,立ち寄ったとされる東光院もある。

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2018/05/14

渋川つつじ公園と渋川の大イチョウ

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浜松市北区引佐町渋川の渋川つつじ公園へ行った。豊川インターから三ヶ日ジャンクションを新東名方面へ走り,三遠南信道を北進。渋川寺野インターで下りて,県道299号線沿いにある。西側の上り口から急な山道を15分ぐらい上ると,濃いピンクのシブカワツツジの群落があった。葉は三枚で光沢があり厚い。何だか柿の葉に似ている。ミツバツツジの仲間だそうで,静岡県の天然記念物に指定されている。三重県のジングウツツジの同属。
公園の頂上からは,渋川の集落や周りの山がきれいに見えて,すてきだった。帰りは,急な階段を東側へ下りた。

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渋川には樹齢600年という大イチョウがある。圧倒された。


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2018/04/29

歩いてわかる旧東海道/箱根旧街道と後北条氏

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平成30年4月27日(金)に,豊橋市石巻地区市民館で,自主サークル「姫街道」の会があり,「歩いてわかる旧東海道/箱根旧街道と後北条氏」という題で話をした。この会では,姫街道のことを中心に三遠南信地域のことを学習している。今回,歩いた経験を話してほしいということなので,箱根旧街道のことを中心に話をした。
箱根旧街道を歩くと,豊臣秀吉の小田原征伐や後北条氏の歴史にふれることが多く,このテーマにした。会員の皆さんが,私のつたない話を熱心に聞いてくださり,うれしかった。

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この写真は,箱根湯元の街道(1880年…着色ガラス写真)
「百年前の日本」(セーラム・ピーポディー博物館蔵 モース・コレクション/写真編
:構成・小西四郎+岡秀行 小学館1983年発行)より

話の内容は,次の通り。

1 旧東海道と五街道の旅
 ①東海道 ②中山道 ③甲州道中 ④日光道中 ⑤奥州道中
2 旧東海道/箱根八里
 (1) 三島宿
 (2) 箱根宿
 (3) 小田原宿
3 箱根路の移り変わりと石畳
 (1) 箱根路の移り変わり
   ① 碓氷道(古代) ②足柄道(奈良・平安) ③湯坂道(鎌倉・室町) ④旧東海道(江戸)
 (2) 江戸時代の箱根旧街道
4 箱根関所
5 後北条氏
 初代:北条早雲 2代:氏綱 3代:氏康 4代:氏政 5代:氏直
6 山中城
7 早雲寺
8 石垣山一夜城
9 小田原城 


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2018/02/13

2017年度越境地域政策研究フォーラム

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2月10日(土),2017年度の越境地域政策研究フォーラムが,愛知大学豊橋教室で行われた。
3年連続で,分科会5(越境地域と歴史・文化)に参加した。この研究フォーラムは,愛知大学三遠南信地域連携研究センターが行っているものだ。
分科会5では,群馬県立女子大学の北川和秀先生が,三遠南信地域の古代地名を巡ってというテーマで発表され,木簡に記述された上枯郷・下枯里の地が,「和名抄」にある参河国賀茂郡の賀祢と信茂であるとした。また,伊場遺跡出土の木簡にある浜津郷は,「和名抄」にある,遠江国敷地郡濱津または濱松であることを知ることができ,興味深かった。
また,名古屋女子大学の竹尾利夫先生は,奥三河に伝わる昔話・伝説について報告された。そして,愛知大学の飯塚隆藤先生は,歴史GISデータベース化の発表をされた。
お三方とも二年連続の発表で,とてもおもしろかった。今年は,他大学の先生が,質問や意見を述べられ,今まで以上に専門性の高い会合であった。私の参加は場違いだが,個人的には脳の活性化に役立った。

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2017/11/17

「姫街道」散策会・家康の痕跡を追って②

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昨日,11月16日,自主サークル「姫街道」の散策会で,家康の痕跡を追って②があった。今回は,宿蘆寺,志津城跡,舘山寺大草山,初山宝林寺,蜂前神社を巡った。家康の足跡と言うより,大河ドラマ「直虎」の足跡を追った旅だ。
宿蘆(しゅくろ)寺の参道は,大河ドラマの中で龍潭寺として撮影されたところだ。宿蘆寺には,舘山寺にある堀江城の城主,大澤氏の墓所がある。大澤氏は,はじめ今川家の家臣であったが,後に徳川家に帰順している。
宿蘆寺には,三方原の合戦で敗れた家康が蘆を宿としたという伝説があるそうだ。

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蜂前(はちさき)神社は,直虎の花押が残された文書を所蔵していた神社。祝田(ほうだ)地区にある。近くには井伊直親の墓所もある。

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2017/11/04

姫街道/浜松宿から三方原追分へ

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東海道の脇往還・姫街道(本坂道)を,浜松宿起点の連尺交差点(浜松城大手門跡)から,三方原追分まで約8kmを約2時間半で歩いた。
まず,浜松駅から北に歩き,東海道の板屋交差点から西に進み,連尺交差点まで歩いた。東海道は,一旦南下する。姫街道は,連尺交差点をそのまま西に進み,ひくま坂を登る。高町交差点を北に進みしばらくすると,史跡「犀ヶ崖」となる。犀ヶ崖には,先週自主サークル「姫街道」の散策会で立ち寄っている。戦国時代,三方原の合戦で敗れた徳川家康は浜松城に逃げ帰り,追う武田軍がここ犀ヶ崖付近に迫ったが,地理不案内の武田軍は徳川方の戦法に惑わされ,多くの戦死者を出したという。
姫街道の通りと,崖の下を写してみたが,なんだかよく分からない。

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浜松宿から三方原追分までの姫街道は,道中奉行管轄の官道である。途中,家康ゆかりの地名が多く残っている。
三方原の合戦で敗走中,家康が茶店で小豆餅を食べたので,小豆餅(あずきもち)。小豆餅の代金を払わず逃げようとした家康から,代金を取ったので銭取(ぜにとり)。
小豆餅 銭取本舗 御菓子司「あおい」で,小豆餅を買って帰った。

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2017/10/26

「姫街道」散策会・家康の痕跡を追って①

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自主サークル「姫街道」の散策会で,家康の痕跡を追って①に参加した。引間城跡,浜松城,浜松秋葉神社,西来院(築山御前墓所),犀ヶ崖資料館に寄った。
赤い社殿が特徴的な浜松秋葉神社は,徳川家康が1570(永禄13)年,浜松城入城の折,秋葉山より勧請したもので,長篠城主として奮戦した奥平信昌の屋敷に建立したものだそうだ。

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西来院には,家康の正室築山御前の廟所・月窟廟がある。築山御前瀬名姫は,大河ドラマ「女城主 直虎」で,直虎と心を通じた友として描かれている。悲運の姫も,静かな墓苑に懇ろに弔われていると感じた。
今回の案内は,姫街道未来塾の佐野一夫先生。長い間浜松市博物館にお勤めだったということだけあって,分かりやすく家康の足跡を解説してくださった。根っからの歴史好きだろう。史跡や石碑,墓所などへの愛情が伝わってきた。


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2017/10/18

奥山方広寺

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浜松市北区引佐町の奥山方広寺に行ってきた。臨済宗方広寺派の大本山。豊橋の人間からは,方広寺というより奥山半僧坊といった方が通りがよい。結構,何度も行ったことがあるのだが,最近はご無沙汰していた。大河ドラマ直虎人気もあり,久しぶりに行ってみた。半僧坊とは,方広寺の鎮守様だそうで本堂の西側にある。

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半僧坊といえば,もっとうっそうとした森を思い浮かべていたが,本堂や半僧坊前は,大分見晴らしがよくなっていた。反対側の三重塔へ向かう坂道から全体がよく見える。亀背橋という赤い橋やもきれいだった。


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2017/09/24

道と越境の歴史文化

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「道と越境の歴史文化~三遠南信クロスボーダーと東西文化」(和田明美編 青簡(たけかんむり+もんがまえ+つき)舎)という本を読んだ。愛知大学では,毎年「越境地域政策研究フォーラム」という研究会をしており,その成果をまとめた書籍で,玉村の源さんから贈っていただいた。
難しい本だが,中世の東三河と西遠には,伊勢神宮の御厨が置かれていて,共通点が多いこと,旅日記からみると新居関所の東西で比較的容易に関所破りが行われていたことなど,結構面白かった。
益々,三遠南信地域のことに,興味を持った。


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