2026/05/01

富山新潟旅行三日目/春日山城跡・高田城三重櫓

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三日目は、上越市の春日山城跡ものがたり館と高田城三重櫓を見学した。上越市は、直江津市と高田市が1971(昭和46)年に合併してできた市で、新潟県上越地域の中心都市である。春日山城は旧直江津市にあり、上杉謙信の居城であった。昨年の山形旅行で訪れた米沢城も上杉氏ゆかりの地。春日山城は、山頂の本丸から屋敷跡や空堀などが連続する東裾野に、堀と土塁からなる総構(そうがまえ)が築かれているのが特徴で、総構は土塁や堀の一部が復元され、春日山城史跡広場となっている。春日山城跡ものがたり館では、上杉謙信や春日山城について学習した。今回は帰路ということもあって、春日山城の山頂に登るのは断念した。

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上杉氏が会津へ転封された後、春日山城は廃城となり、徳川家康の六男松平忠輝の居城として旧高田市域に高田城が築かれた。高田城には、三重櫓が復元されている。三重櫓からは、遠く妙高山を見ることができた。晴れていてよかった。
高田城見学後、上信越道、長野道、中央高速、東海環状道、東名高速と走って豊橋へ帰った。楽しい三日間であった。運転はすべて友人、お疲れ様。

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2026/02/24

牧之原市/大鐘家住宅

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牧之原市片浜にある大鐘家住宅は,約300年前の建造物で,江戸時代の大庄屋大鐘家の住宅である。母屋(上写真)と長屋門(下写真)は,国指定の重要文化財である。
大鐘家七代目大鐘藤八郎貞綱は,柴田勝家の甥・丸岡城主の柴田勝豊に仕えた。貞綱は,1597(慶長2)年に,この地に移り住んだという。母屋裏手の「蔵の史料館」には,大鐘藤八郎貞綱の画像が展示してある。

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大鐘家は花庄屋ともよばれ,時季になるとあじさいや酔芙蓉が咲き誇る。訪れた2月には,母屋でつるし飾展が行われていた。今回の街道歩きでは唯一の癒しのスポットであった。帰りに売店で健康に良いという「百葉茶」を購入した。

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2026/02/23

田沼街道二日目/吉田町・小山城跡から相良起点まで

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2月22日,先月に続きYさんと田沼街道を,榛原郡吉田町の小山城跡から牧之原市相良の田沼街道起点まで約12kmを4時間で歩いた。静鉄ジャストライン北片岡吉田特別支援学校バス停で下り,小山城跡のトイレを借りてからスタート。廃線された静岡鉄道駿遠線上吉田駅を見て,国道150号を南下する。坂口谷川を渡り牧之原市に入ったところで,旧道に入る。旧榛原町の細江地区や静波地区には,昔ながらの町並みが残る。勝間田川を越えると旧相良町。大鐘家住宅(おおがねけじゅうたく)の長屋門の前には田沼街道が通っていて,廃城となった相良城の石垣が残っている。

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大江地区で,国道150号から旧道に入る。しばらく萩間川左岸を歩き,湊橋を渡ると田沼街道起点がある。ここは,昨年12月に茶の道の起点まで歩いたときにも寄った。時間が迫っていたので写真を撮ってバス停に急いだが,同行のYさんは,近くの仙台河岸まで行ってきた。それでもぎりぎりバスに間に合ってセーフ。仙台河岸は,相良藩の重要な船着き場だったとか。さすがYさん。

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2026/01/21

小山城跡

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田沼街道一日目のゴールは小山城跡。小山城は,1571(元亀2)年頃,榛原郡吉田町片岡の能満寺山にあった砦を,武田四天王の馬場美濃守信房が拡張・改修して築城したとされている。小山城の西には,半月状の三日月堀が三つ並んでいる三重堀がある。その東の二の郭には,三日月形の堀があり(写真),馬出しがある。その東側が本郭である。

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二の郭には,犬山城を模した天守閣型の展望台小山城が建てられている。展望台からは,富士山がきれいに見えた。

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2026/01/19

田沼街道一日目/藤枝・勝草橋から吉田・小山城まで(2)

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田沼街道は,東名高速道路をくぐり焼津市上新田からはのどかな道となる。港湾道路を過ぎると,焼津市相川に田沼街道下瀬越跡の標柱が立っている。標柱には「大井川下瀬越は対岸の高島村(吉田町川尻の内)から浅瀬を選んで本瀬を渡り,中洲を北上して旧堤ぞいの小分流を渡ってここ相川・西島村境にあがる形で行われていた」とある。ここ下瀬越の地から大井川を下流に斜め方向に渡っていたらしい。

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標柱からまっすぐ進み大井川の堤防を左へ曲がると国道150号と合流する。大井川を国道150号富士見川橋で渡る。焼津市から榛原郡吉田町となる。振り返ると,富士山がきれいに見えた。

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2026/01/17

田沼街道一日目/藤枝・勝草橋から吉田・小山城まで(1)

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2026年1月12日(月)成人の日に,Yさんと共に田沼街道を藤枝市勝草橋から,榛原郡吉田町の小山城跡まで約12kmを4時間で歩いた。田沼街道は,東海道の藤枝宿の瀬戸川にかかる勝草橋南詰の志太一里塚から分岐して,大井川を渡り老中田沼意次の居城相良城下まで約28kmの道のりである。東海道歩きのときにいずれは田沼街道を歩こうと思っていたが,念願が25年ぶりにかなうことになる。勝草橋も東海道すじも,以前に比べて整備され大変きれいになったという印象。
写真の田沼街道蹟は,勝草橋南詰から瀬戸川右岸堤防沿いを100mほど下ったところにあり,ここから堤防から分かれて進む。

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藤枝市から焼津市の田沼街道は,静岡県道33号・藤枝大井川線にほぼ沿っている。藤枝市内では泉町付近に100mほど旧道が残っている。この付近から富士山がきれいに見えた。藤枝市大東町付近で東名高速道路をくぐり,焼津市上新田(旧大井川町)に入る。

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2025/12/07

塩の道・秋葉街道三日目/菊川・小笠から牧之原・相良まで歩く

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2025年12月7日,塩の道・秋葉街道を菊川市下川平(小笠郵便局前)から牧之原市相良(塩の道起点)まで約12kmを4時間で歩いた。出発前と到着後にも少し歩いているので歩数計アプリだと20kmとなっている。塩の道を歩くのは,6か月ぶり。
街道はずっと茶畑の間を進んでいる。まさに牧之原台地を歩きとおしたということになるかも。途中,富士山が顔を出したが,ややかすんでいて,写真写りは良くない。写真は,今川義忠公の墓。今川義元の祖父にあたるようだ。

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牧之原台地を下るところでは,遠く海が見えた。結構感激。駿河湾だと思う。
国道150号,大沢インターチェンジ付近では,国道の反対側に出るところでちょっと迷ってしまいロスがあったが,何とか塩の道・相良起点に到着した。そのまま東へ直進して萩間川に出て,川沿いを下ると,湊橋の南橋詰に田村街道起点があった。次回は,東海道藤枝宿の勝草橋から田沼街道を歩くつもり。帰りは,相良庁舎前から静鉄ジャストラインのバスで,藤枝駅まで向かった。しかしバスで一時間,1150円。すごい道のり。2回で歩けるかな?

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2025/11/29

「セツと八雲」を読んだ。

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「セツと八雲」(小泉凡著:聞き手・木本健二 2025朝日新書)を読んだ102。セツは,小泉八雲の妻で,NHK朝ドラ「ばけばけ」の主人公松野トキのモデルだ。著者の小泉凡さんは,小泉八雲とセツのひ孫にあたり,小泉八雲記念館館長を務めている。この本は,朝日新聞の木本健二さんが,小泉八雲とセツを研究している小泉凡さんから聞き取ったもので,凡さんは「僕」として話している。

八雲の日本での第一作は,「知られぬ日本の面影」。松江の様子や,セツから聞いた言い伝えや怪談を含んでいる。凡さんによると,八雲は一旦この出版契約を破棄しようとしたが,セツが契約破棄の書簡を投函せず,トラブルを避けたとのことだ。
凡の名前は,マッカーサーの軍事秘書として来日したボナー・フェラーズからとったそうだ。フェラーズは昭和天皇を軍事裁判にかけるのを回避するようマッカーサーに働きかけた人物で,残されたセツや子のことを思いやり,亡き八雲の作品の出版にも尽力したそうだ。
八雲の長男一雄は,孫の名前をボナーからとって「凡」としたいとフェラーズに手紙を送ったそうだ。
これらのエピソードは,凡さんでなければ語られなかったと思う。たくさんある八雲関連の本から,この一冊を選んでよかった。

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2025/11/23

原発被災地「小高」の本を読んだ。

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「苦難の日々を心に刻み,再生へ向かって歩む 明日は必ず来る 原発被災地小高」(小高夏期自由大学事務局編著 2025ヨベル新書)を読んだ。101
小高(おだか)は福島県南相馬市小高区のこと。2011年の東日本大震災による東京電力第一原子力発電所の爆発事故により,小高区全域に避難指示が出され無人となった。避難指示が解除となったのが2016年7月。人口は震災前の約1万2千人から3割程度となっている。
しかし小高区では,住民が中心となって街の復興を推進し,東京大学や東北大学をはじめとした研究者や学生が協力して街づくりを行っている。この3年余りの間に,パン&カフェ「アオスバシ」,震災遺構としての「おれたちの伝承館」,ぷくぷく醸造,「小高町歴史郷土史料室」などなど,たくさんの施設ができている。小高区へ引っ越してきて起業する人も多い。元気な町だ。
この本は,そんな小高の人々の活躍とこれからの課題について語り合った「第2回小高夏期自由大学」の記録である。

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2025/11/16

垂井城跡と南宮大社

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友人と岐阜県垂井町に残る関ケ原合戦の陣跡を巡った。垂井は中山道の宿場町で,何回か訪れたことがある。美濃路の終着点でもある。
今回は,垂井駅北口を西進。突き当りの高台にあるのが垂井城跡。専精寺の境内になっている。垂井城は平塚為成の居城で,関ケ原の戦いでは大谷吉継と行動を共にしたという。垂井城跡の北側には見覚えがある景色があった。垂井の泉とある。ここは,中山道歩きのときに見学したところで,この泉が垂井という地名の由来だそうだ。

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垂井の泉から,中山道にある南宮大社石鳥居が見える。この鳥居は,南宮大社の社殿とともに重要文化財となっている。中山道歩きのときには,この鳥居を見て,「南宮大社に寄りたいな」と思ったところだ。今回は念願がかなった。ちょうど七五三の時季で,境内は七五三詣りの家族でにぎわっていた。南宮大社は,鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神を主祭神としているそうだ。美濃国一之宮。

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