2026/01/21

小山城跡

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田沼街道一日目のゴールは小山城跡。小山城は,1571(元亀2)年頃,榛原郡吉田町片岡の能満寺山にあった砦を,武田四天王の馬場美濃守信房が拡張・改修して築城したとされている。小山城の西には,半月状の三日月堀が三つ並んでいる三重堀がある。その東の二の郭には,三日月形の堀があり(写真),馬出しがある。その東側が本郭である。

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二の郭には,犬山城を模した天守閣型の展望台小山城が建てられている。展望台からは,富士山がきれいに見えた。

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2026/01/19

田沼街道一日目/藤枝・勝草橋から吉田・小山城まで(2)

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田沼街道は,東名高速道路をくぐり焼津市上新田からはのどかな道となる。港湾道路を過ぎると,焼津市相川に田沼街道下瀬越跡の標柱が立っている。標柱には「大井川下瀬越は対岸の高島村(吉田町川尻の内)から浅瀬を選んで本瀬を渡り,中洲を北上して旧堤ぞいの小分流を渡ってここ相川・西島村境にあがる形で行われていた」とある。ここ下瀬越の地から大井川を下流に斜め方向に渡っていたらしい。

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標柱からまっすぐ進み大井川の堤防を左へ曲がると国道150号と合流する。大井川を国道150号富士見川橋で渡る。焼津市から榛原郡吉田町となる。振り返ると,富士山がきれいに見えた。

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2026/01/17

田沼街道一日目/藤枝・勝草橋から吉田・小山城まで(1)

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2026年1月12日(月)成人の日に,Yさんと共に田沼街道を藤枝市勝草橋から,榛原郡吉田町の小山城跡まで約12kmを4時間で歩いた。田沼街道は,東海道の藤枝宿の瀬戸川にかかる勝草橋南詰の志太一里塚から分岐して,大井川を渡り老中田沼意次の居城相良城下まで約28kmの道のりである。東海道歩きのときにいずれは田沼街道を歩こうと思っていたが,念願が25年ぶりにかなうことになる。勝草橋も東海道すじも,以前に比べて整備され大変きれいになったという印象。
写真の田沼街道蹟は,勝草橋南詰から瀬戸川右岸堤防沿いを100mほど下ったところにあり,ここから堤防から分かれて進む。

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藤枝市から焼津市の田沼街道は,静岡県道33号・藤枝大井川線にほぼ沿っている。藤枝市内では泉町付近に100mほど旧道が残っている。この付近から富士山がきれいに見えた。藤枝市大東町付近で東名高速道路をくぐり,焼津市上新田(旧大井川町)に入る。

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2025/12/07

塩の道・秋葉街道三日目/菊川・小笠から牧之原・相良まで歩く

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2025年12月7日,塩の道・秋葉街道を菊川市下川平(小笠郵便局前)から牧之原市相良(塩の道起点)まで約12kmを4時間で歩いた。出発前と到着後にも少し歩いているので歩数計アプリだと20kmとなっている。塩の道を歩くのは,6か月ぶり。
街道はずっと茶畑の間を進んでいる。まさに牧之原台地を歩きとおしたということになるかも。途中,富士山が顔を出したが,ややかすんでいて,写真写りは良くない。写真は,今川義忠公の墓。今川義元の祖父にあたるようだ。

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牧之原台地を下るところでは,遠く海が見えた。結構感激。駿河湾だと思う。
国道150号,大沢インターチェンジ付近では,国道の反対側に出るところでちょっと迷ってしまいロスがあったが,何とか塩の道・相良起点に到着した。そのまま東へ直進して萩間川に出て,川沿いを下ると,湊橋の南橋詰に田村街道起点があった。次回は,東海道藤枝宿の勝草橋から田沼街道を歩くつもり。帰りは,相良庁舎前から静鉄ジャストラインのバスで,藤枝駅まで向かった。しかしバスで一時間,1150円。すごい道のり。2回で歩けるかな?

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2025/11/29

「セツと八雲」を読んだ。

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「セツと八雲」(小泉凡著:聞き手・木本健二 2025朝日新書)を読んだ102。セツは,小泉八雲の妻で,NHK朝ドラ「ばけばけ」の主人公松野トキのモデルだ。著者の小泉凡さんは,小泉八雲とセツのひ孫にあたり,小泉八雲記念館館長を務めている。この本は,朝日新聞の木本健二さんが,小泉八雲とセツを研究している小泉凡さんから聞き取ったもので,凡さんは「僕」として話している。

八雲の日本での第一作は,「知られぬ日本の面影」。松江の様子や,セツから聞いた言い伝えや怪談を含んでいる。凡さんによると,八雲は一旦この出版契約を破棄しようとしたが,セツが契約破棄の書簡を投函せず,トラブルを避けたとのことだ。
凡の名前は,マッカーサーの軍事秘書として来日したボナー・フェラーズからとったそうだ。フェラーズは昭和天皇を軍事裁判にかけるのを回避するようマッカーサーに働きかけた人物で,残されたセツや子のことを思いやり,亡き八雲の作品の出版にも尽力したそうだ。
八雲の長男一雄は,孫の名前をボナーからとって「凡」としたいとフェラーズに手紙を送ったそうだ。
これらのエピソードは,凡さんでなければ語られなかったと思う。たくさんある八雲関連の本から,この一冊を選んでよかった。

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2025/11/23

原発被災地「小高」の本を読んだ。

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「苦難の日々を心に刻み,再生へ向かって歩む 明日は必ず来る 原発被災地小高」(小高夏期自由大学事務局編著 2025ヨベル新書)を読んだ。101
小高(おだか)は福島県南相馬市小高区のこと。2011年の東日本大震災による東京電力第一原子力発電所の爆発事故により,小高区全域に避難指示が出され無人となった。避難指示が解除となったのが2016年7月。人口は震災前の約1万2千人から3割程度となっている。
しかし小高区では,住民が中心となって街の復興を推進し,東京大学や東北大学をはじめとした研究者や学生が協力して街づくりを行っている。この3年余りの間に,パン&カフェ「アオスバシ」,震災遺構としての「おれたちの伝承館」,ぷくぷく醸造,「小高町歴史郷土史料室」などなど,たくさんの施設ができている。小高区へ引っ越してきて起業する人も多い。元気な町だ。
この本は,そんな小高の人々の活躍とこれからの課題について語り合った「第2回小高夏期自由大学」の記録である。

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2025/11/16

垂井城跡と南宮大社

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友人と岐阜県垂井町に残る関ケ原合戦の陣跡を巡った。垂井は中山道の宿場町で,何回か訪れたことがある。美濃路の終着点でもある。
今回は,垂井駅北口を西進。突き当りの高台にあるのが垂井城跡。専精寺の境内になっている。垂井城は平塚為成の居城で,関ケ原の戦いでは大谷吉継と行動を共にしたという。垂井城跡の北側には見覚えがある景色があった。垂井の泉とある。ここは,中山道歩きのときに見学したところで,この泉が垂井という地名の由来だそうだ。

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垂井の泉から,中山道にある南宮大社石鳥居が見える。この鳥居は,南宮大社の社殿とともに重要文化財となっている。中山道歩きのときには,この鳥居を見て,「南宮大社に寄りたいな」と思ったところだ。今回は念願がかなった。ちょうど七五三の時季で,境内は七五三詣りの家族でにぎわっていた。南宮大社は,鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神を主祭神としているそうだ。美濃国一之宮。

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2025/10/19

「崋山先生の画帖」を読んだ。

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「崋山先生の画帖」(住田真理子著:2025年 風媒社刊)を読んだ。住田真理子さんの書籍を読むのは,公務員船頭「牛川の渡し物語」に続いて2冊目。東海日日新聞に連載されていた小説で,前作と同様にmichiさんの紹介で知り,購入した。

渡邊崋山は郷土が誇る偉人で,江戸幕府末期に田原藩家老として,また画家として活躍した人物である。天保の大飢饉のときには,食料備蓄庫(報民倉)を築いて領民を助け,藩内から一人の死者を出さなかった話は,有名。 田原藩隠居格の三宅友信の側用人として尽くし,友信に蘭学を勧めている。
崋山は外国船打ち払い令を批判する「慎機論」を書き,未発表の草稿を発見され,投獄されることになる。田原の池の原に蟄居させられてからは,貧しい暮らしの中で絵をかいて生計を維持するものの,「罪人のくせに絵をかいて売っている」という讒言を苦にして,自害している。

この小説では,崋山にかかわる様々な人物の眼から,崋山の生涯をえがいている。誰にでも優しく慕われていた。第一画から第六画まで,話に引き込まれた。
WHAT'S HAGISANで紹介した本は,これで100冊目。

 

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2025/10/03

地中海世界の歴史7/「平和と繁栄の宿命」

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地中海世界の歴史7/「平和と繁栄の宿命」パクス・ローマーナ(本村凌二著 講談社選書メチェ 2025年)を読んだ。99
紀元後54年の皇帝ネロの即位から,284年のディオクレティアヌス皇帝即位までの時代を取り上げている。パクス・ローマーナとは,「ローマによる平和」を意味するそうだ。ローマ帝国が繁栄したこの時代には,地中海世界の各地に,コロッセオをはじめとした円形闘技場や神殿,凱旋門などがつくられている。入浴場や水道橋なども整備され,貴族をはじめ一般市民の生活は向上していた。79年にヴェスヴィオ火山が噴火し,ポンペイの町が埋もれた被害もあった。
闘技場では人と人との決闘が見世物として行われ,勝者は英雄となるが,敗者は殺されるという残忍なことが行われていた。平和な世とはいえ奴隷制もあり,驚かされることが多かった。
五賢帝時代が最も安定していて,114年のトラヤヌス帝のときにローマ帝国の範囲は最大となる。続くハドリアヌス帝は,現在のフランス・イギリス・スペイン・チュニジア・ギリシャ・エジプトなどの属州を3度にわたり視察し,支配を確実なものにしている。ハドリアヌスの属州視察についての記述は,興味深いものがあった。

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2025/07/31

一乗谷朝倉氏遺跡に行きました。

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先日,特急しらさぎと北陸新幹線を乗り継いで,一乗谷朝倉氏遺跡に行ってきた。遺跡全体が国の特別史跡で,一乗谷朝倉氏庭園は国の特別名勝である。
まず,福井駅からバスで約30分で復元町並バス停に着いた。バス停からは復元町並の南口はすぐ。約200mの街並みが続く。途中の家の門をくぐると武家屋敷の発掘跡が広がり,裏山の緑が美しい。
復元町並は発掘調査で見つかった塀の石垣や建物の礎石をつかって,武家屋敷や職人等の町家を忠実に復元したものだそうだ。

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復元町並の北口を出て道路と一乗谷川を渡ると,朝倉館の唐門がある。朝倉館は,朝倉5代義景の館で,三方を堀で,東側を山で囲まれた敷地内に,17の建物が建てられていたという。

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