春照宿と長浜道との追分
日本武尊と白猪の像から北へ進む。北国脇往還に復帰して,常夜灯を北に曲がると春照(すいじょう)宿の昔ながらの街並みとなる。もとは「水上」であったが,たびたび大火に見舞われたため村人が行者に相談すると,地名がよくないということで「春照」に改名したという。春照宿は,北陸への宿場であると同時に,長浜からの湖上交通の中継拠点としてにぎわったそうである。
春照宿北の八幡神社の角に,北国脇往還(右・直進方向)と長浜道(左方向)との追分を示す道標がある。
日本武尊と白猪の像から北へ進む。北国脇往還に復帰して,常夜灯を北に曲がると春照(すいじょう)宿の昔ながらの街並みとなる。もとは「水上」であったが,たびたび大火に見舞われたため村人が行者に相談すると,地名がよくないということで「春照」に改名したという。春照宿は,北陸への宿場であると同時に,長浜からの湖上交通の中継拠点としてにぎわったそうである。
春照宿北の八幡神社の角に,北国脇往還(右・直進方向)と長浜道(左方向)との追分を示す道標がある。
4月1日,北国脇往還を関ケ原宿から玉宿・藤川宿・春照(すいじょう)宿まで歩いた。JR東海道本線関ケ原駅を降り,中山道との追分・十六銀行角交差点を北にスタート。すぐに関ケ原宿本陣跡の八幡神社に突き当たる。19年前の中山道歩きの時にも来ているのだが,その時の印象はない。まあ今回は,北国脇往還の関ケ原宿本陣と考えよう。関ケ原宿本陣跡のスタジイは,江戸時代から旅人を見守ってきたという古木で,県と町の天然記念物。北国脇往還は,八幡神社の西側を北に進み,東首塚を経て,関ケ原の合戦・徳川家康最後陣跡に向かう。
徳川家康最後陣跡には,厭離穢土・欣求浄土ののぼりが立つ。近くには2020年に開館した,岐阜関ケ原古戦場記念館があるが,街道歩き優先で,今回はパス。北に進み,玉宿を経て,滋賀県米原市の藤川宿・春照宿を通り,小田(やないだ)で姉川を渡った。当初の目的地は,姉川古戦場だったが,長浜市相撲庭(すまいにわ)に入ったところで断念。湖国バス野一色バス停までもどって,ゴール。約17kmを休憩を含め6時間で歩いた。いっしょに歩いてくれたYさんと,次回の歩きを約束して帰った。
「北国街道と脇往還ー街道が生んだ風景と文化」(市立長浜城歴史博物館:サンライズ出版)という本を読んだ。ヤマトタケルを調べていると,伊吹山での出来事に興味がわいた。先日紹介した「伝承地でたどる ヤマトタケルの足跡 ・尾張・美濃・近江・伊勢」という本によると,どうも北国脇往還の春照(すいじょう)宿に,ヤマトタケルと白猪の像があるらしい。俄然行ってみたくなった。というわけで,読み始めたのがこの本。
この本で言う北国街道とは,近江と越前を結ぶ道。北近江には,米原から長浜・木之本を経て国境を越える「北国街道」,関ヶ原から春照・小谷を経て木之本を結ぶ「北国脇往還」,米原から国友を経て小谷に至る「小谷道」の三本の街道があったという。
この本には,北国脇往還の経路mapも掲載されている。春照宿や藤川宿に近い上平寺館跡は,以前横田さんと歩いたところ。何だか楽しくなってきた。
8月28日,別所温泉から,北国街道・海野宿に足を伸ばした。今回の旅行で,いちばん行きたかったところかもしれない。ここでの北国街道は,中山道の追分宿の分去れ(わかされ)から,長野の善光寺を通り,新潟県の高田までの道筋。中山道の追分宿からは,小諸宿,田中宿,海野宿,上田宿と続く。
海野宿は,重要伝統的建造物群保存地区として整備されている。街道には水路が流れ,昔のままの宿場風景が残され,とても雰囲気がよかった。
そして,何と萩の花が咲いていた。北国街道/海野宿の萩
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5月4日(木),横田さんと一緒に,関ヶ原古戦場跡・小早川秀秋陣地の松尾山に登った。293mと高い山ではないが,上り下りがあり結構楽しいハイキングだった。曇りがちの天候で,山頂は涼しいぐらい。まだ,八重桜が咲いていた。写真の写りはあまりよくなかったが,石田三成陣地の笹尾山も眺めることができた。山では,テンナンショウの仲間が咲いていた。
山を下りて,石田三成の笹尾山へ向かった。その途中,関ヶ原古戦場開戦地にも立ち寄った。新緑がきれいだった。野の花も美しく,すてきな一日になった。
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米原市の古城巡りに行った。横田さんのお供で,弥高寺跡から上平寺城跡まで,約6時間山道を歩いた。
近江長岡駅から湖国バスでジョイいぶきバス停まで行き,悉地院へ向かう。この寺は,以前萩の花の取材で行ったことがある。ここから,近江鉱山の横を通って,林間の遊歩道の入り口に向かった。悉地院側からの登山口は,標識が全くなく,とても分かりづらかった。米原市にこのコースの整備を望む。
それでもなんとか林道を一時間ぐらい登り,弥高寺跡(別名苅安尾城)に着く。ふう,標高715m。見晴らし良好。天気がよければ,琵琶湖も見えたはずだ。
弥高寺跡から行者谷を経て,上平寺城跡へ向かう。途中すべり落ちそうな崖沿いの道が続く。一歩まちがえば,落ちてしまう。なんとか乗り越えると,上平寺城跡。標高669m。京極氏が築城し,後に浅井長政が修復したと伝わる。三の丸の紅葉がひときわきれいだった。
上平寺城跡からの下りは,かなり急で,ひざが少し痛くなってしまった。一時間下って,ようやく麓の伊吹神社と京極氏館跡(標高345m)に着いた。そして,北国脇往還の一部を通って,近江長岡駅まで歩いた。
横田さんは,上平寺城跡の素晴らしさに感動し,私は帰り道に咲いていたオドリコソウを見て,心が躍った。
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秋の晴天に恵まれた10月19日(日),横田さんと近江小谷城に登る予定だった。しかし,途中の望笙峠まで登ったところで,ボランティアの人が来て,「クマが出たので,これ以上上には行けない。」言われてしまった。残念ながら,本日の小谷城攻略は失敗。またの機会に再チャレンジするしかない・・・。もう,これないかも・・・。
それでも,秋のハイキングは楽しい。知らない花を見ることができたし,萩の黄葉を見ることができたし,と負け惜しみ。小谷山のふもとを,北国脇往還が通っていることが分かったのも,収穫。
下山後,長浜の黒壁スクエアや長浜城を再訪した。
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校区文化協会の研修旅行で,長浜城と北国街道木之本宿,賤ヶ岳古戦場跡へ行った。
長浜城と木之本宿では,NHKの大河ドラマ軍師官兵衛の展示をしていた。でも一番の関心事は木之本宿。
木之本宿は,北国街道の宿場町で,木之本地蔵院の門前町でもあるそうだ。街道沿いには,古い建物も残されていて,感じのよい街だった。少ない自由時間のなかで,宿場南の北国街道脇往還との追分から,宿場北の馬市跡まで急いで見学した。写真は,本陣薬局。
その後,賤ヶ岳古戦場跡に行った。ふもとから7分リフトに乗り,リフトを降りて山頂まで300m歩く。琵琶湖北岸と余呉湖が見える。一度は来てみたいと思っていただけに,よかった。山頂では,語り部が,賤ヶ岳合戦の説明をしてくれた。有意義な一日だった。
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三国観光ホテルでの朝食後,歩いて瀧谷寺(たきだんじ)に行った。8時から見せてくれるなんて,うれしい限り。お目当ては,名勝に指定されているこの庭園。ただ,萩の花はなかった。
そのあとホテルの目の前にある,みくに龍翔館を見学した。オランダ人が設計した旧龍翔小学校をモデルにした資料館で,三国の自然,歴史,民俗などが分かりやすく展示されている。江戸時代に活躍した北前船の展示もよかった。当初,芦原温泉に泊まろうと思っていたが,どっこい三国に泊まって正解。
そのあと,東尋坊,加賀大聖寺の実性院に行った。
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