2024/04/08
2024/04/07
2023/11/21
小谷宿本陣跡
小谷伊部宿本陣。結構立派な遺構が残っていて感動した。伊部は,浅井氏の時代,小谷城の城下町として栄えた。しかし,秀吉が1574(天正2)年に長浜城を築いた際に,長浜に移住させられたという。その後,北国脇往還の宿場として復活している。伊部宿を上小谷宿,次の郡上宿を下小谷宿といい,江戸に向かう上りは伊部宿を利用したという。
石碑には,小谷城趾登山道とある。この先,小谷城は近い。Yさんの案内で登ろうとしたが,途中で熊が出たので登山禁止となったのは,もう9年も前のこと。
2023/11/14
2023/11/07
2023/11/04
2023/04/08
春照宿と長浜道との追分
日本武尊と白猪の像から北へ進む。北国脇往還に復帰して,常夜灯を北に曲がると春照(すいじょう)宿の昔ながらの街並みとなる。もとは「水上」であったが,たびたび大火に見舞われたため村人が行者に相談すると,地名がよくないということで「春照」に改名したという。春照宿は,北陸への宿場であると同時に,長浜からの湖上交通の中継拠点としてにぎわったそうである。
春照宿北の八幡神社の角に,北国脇往還(右・直進方向)と長浜道(左方向)との追分を示す道標がある。
2023/04/03
2023/04/02
北国脇往還1/関ケ原宿から春照宿まで
4月1日,北国脇往還を関ケ原宿から玉宿・藤川宿・春照(すいじょう)宿まで歩いた。JR東海道本線関ケ原駅を降り,中山道との追分・十六銀行角交差点を北にスタート。すぐに関ケ原宿本陣跡の八幡神社に突き当たる。19年前の中山道歩きの時にも来ているのだが,その時の印象はない。まあ今回は,北国脇往還の関ケ原宿本陣と考えよう。関ケ原宿本陣跡のスタジイは,江戸時代から旅人を見守ってきたという古木で,県と町の天然記念物。北国脇往還は,八幡神社の西側を北に進み,東首塚を経て,関ケ原の合戦・徳川家康最後陣跡に向かう。
徳川家康最後陣跡には,厭離穢土・欣求浄土ののぼりが立つ。近くには2020年に開館した,岐阜関ケ原古戦場記念館があるが,街道歩き優先で,今回はパス。北に進み,玉宿を経て,滋賀県米原市の藤川宿・春照宿を通り,小田(やないだ)で姉川を渡った。当初の目的地は,姉川古戦場だったが,長浜市相撲庭(すまいにわ)に入ったところで断念。湖国バス野一色バス停までもどって,ゴール。約17kmを休憩を含め6時間で歩いた。いっしょに歩いてくれたYさんと,次回の歩きを約束して帰った。
2020/01/25
北国街道と脇往還
「北国街道と脇往還ー街道が生んだ風景と文化」(市立長浜城歴史博物館:サンライズ出版)という本を読んだ。ヤマトタケルを調べていると,伊吹山での出来事に興味がわいた。先日紹介した「伝承地でたどる ヤマトタケルの足跡 ・尾張・美濃・近江・伊勢」という本によると,どうも北国脇往還の春照(すいじょう)宿に,ヤマトタケルと白猪の像があるらしい。俄然行ってみたくなった。というわけで,読み始めたのがこの本。
この本で言う北国街道とは,近江と越前を結ぶ道。北近江には,米原から長浜・木之本を経て国境を越える「北国街道」,関ヶ原から春照・小谷を経て木之本を結ぶ「北国脇往還」,米原から国友を経て小谷に至る「小谷道」の三本の街道があったという。
この本には,北国脇往還の経路mapも掲載されている。春照宿や藤川宿に近い上平寺館跡は,以前横田さんと歩いたところ。何だか楽しくなってきた。
より以前の記事一覧
- 北国街道海野宿 2017.09.02
- 関ヶ原/松尾山に登る 2017.05.04
- 弥高寺跡から上平寺城跡 2015.11.07
- 小谷城攻略ならず! 2014.10.19
- 北国街道木之本宿 2014.06.21
- 三国 2007.09.17
- 福井 2007.09.16
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