2024/04/08

高時川桜並木

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長浜市高月町馬上(まけ)から高月町雨森間には,北から南に高時川が流れる。この付近の高時川は,「雨の森川」と言われていた。北国脇往還は,通常は「歩渡り」で,増水時には「舟渡り」であったという。今回は,高時川左岸(東側)の馬上(まけ)から,国道365号の阿弥陀橋で,高時川を渡った。右岸堤防上にはみごとな桜並木が1kmほど続く。桜並木の先に,渡河地点があったという。

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堤防上の道路は,まるで桜のトンネルのよう。河川敷には,たくさんの花見客がいた。写真は,南向き。

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2024/04/07

北国脇往還3/小谷郡上宿から木之本宿まで

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北国脇往還三日目。昨日,前回終了の長浜市・郡上宿から,高月宿を経て,木之本宿札の辻まで約9kmを3時間で歩いた。JR北陸本線河毛(かわけ)駅から小谷城清水道の御屋敷跡までの寄り道等の約5kmを含めると,約14km,6時間のウォーキング。北国脇往還歩き終了。今回もYさんと同行。
写真は郡上宿の一里塚跡。標柱の左側面(南方向)には「やしま」,右側面(北方向)には「あめのもり」とあった。

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小谷丁野(ようの)町付近の「北国脇往還」の石柱。前後の一里塚からの距離を考えると,郡上宿内ではなく,この付近(茶屋)に一里塚があったのかもしれない。

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2023/11/21

小谷宿本陣跡

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小谷伊部宿本陣。結構立派な遺構が残っていて感動した。伊部は,浅井氏の時代,小谷城の城下町として栄えた。しかし,秀吉が1574(天正2)年に長浜城を築いた際に,長浜に移住させられたという。その後,北国脇往還の宿場として復活している。伊部宿を上小谷宿,次の郡上宿を下小谷宿といい,江戸に向かう上りは伊部宿を利用したという。

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石碑には,小谷城趾登山道とある。この先,小谷城は近い。Yさんの案内で登ろうとしたが,途中で熊が出たので登山禁止となったのは,もう9年も前のこと。

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2023/11/14

北国脇往還/野村宿・八島町

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姉川古戦場近くの間の宿・野村には,大名が小休する本陣佐々木家がある。佐々木家の路地門は,福井藩主の下賜金で建立されたという。この写真右手に「右 北国道」「左 江戸谷汲」と記された道標が建つ。写真は,谷汲道を見る。

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野村宿を抜け,草野川を渡る付近は,かつては「福良の森」といって寂しいところだったそうだ。今は,道の駅「浅井三姉妹の郷」もあり,賑わっている。
しばらく行くと長浜市八島町の集落に入る。この集落には,四つの道標がある。北国脇往還の表示や説明板もきちんとしていて分かりやすい。八島集落の北出口には亀島古墳があり,この付近には一里塚もあったという。

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2023/11/07

姉川古戦場

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史跡姉川古戦場。1570(元亀元)年6月28日,浅井長政・朝倉景健連合軍と,織田信長・徳川家康連合軍が,姉川の両岸に布陣して合戦を展開したという。

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北国脇往還野村宿からほど近い,姉川堤防上に「姉川戦死者之碑」がたつ。この石碑から姉川を越える旧野村橋は,現在老朽化により,自動車の通行はできない。

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2023/11/04

北国脇往還2/野村宿から小谷伊部宿まで

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北国脇往還二日目。前回終了の長浜市相撲庭(すまいにわ)町から,野村宿・小谷伊部宿を経て,小谷城戦国歴史資料館を見学。郡上宿を大急ぎで通り抜け,JR北陸本線河毛駅でゴール。寄り道・見学を含めて約15kmを休憩を含め6時間で歩いた。今回もYさんと同行。途中,道を間違えそうになったとき,Yさんが適切にフォローしてくれ,助かった。途中七尾町づくりセンターでは,トイレを貸していただき,感謝。写真は長浜市佐野町付近。七尾山を望む

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道の駅浅井三姉妹の郷には,「お市の方と浅井三姉妹」の像があった。

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2023/04/08

春照宿と長浜道との追分

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日本武尊と白猪の像から北へ進む。北国脇往還に復帰して,常夜灯を北に曲がると春照(すいじょう)宿の昔ながらの街並みとなる。もとは「水上」であったが,たびたび大火に見舞われたため村人が行者に相談すると,地名がよくないということで「春照」に改名したという。春照宿は,北陸への宿場であると同時に,長浜からの湖上交通の中継拠点としてにぎわったそうである。

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春照宿北の八幡神社の角に,北国脇往還(右・直進方向)と長浜道(左方向)との追分を示す道標がある。

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2023/04/03

伊吹のヤマトタケルと白猪の像

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北国脇往還歩きで訪れたかった第一は,米原市春照にある日本武尊と白猪の像。伊吹山の悪い神を征服しようと剣を持たずに来たヤマトタケルは,伊吹山で大きな白猪に出会うも,神の手下と侮り相手にしないで行ってしまう。ところがその白猪は伊吹山の神で,ヤマトタケルは伊吹山の神の怒りにふれ,氷雨に打たれ衰弱して山を下りることになる。この像から伊吹山が見える。

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堂々としたヤマトタケルの像。右手に鳥のようなものをのせ,左手に剣のようなものを持っている。はて?なんだろう。
ヤマトタケルを倭建命と表す古事記では,伊吹山の神は白猪。日本武尊と表す日本書紀では,白蛇となっている。

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2023/04/02

北国脇往還1/関ケ原宿から春照宿まで

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4月1日,北国脇往還を関ケ原宿から玉宿・藤川宿・春照(すいじょう)宿まで歩いた。JR東海道本線関ケ原駅を降り,中山道との追分・十六銀行角交差点を北にスタート。すぐに関ケ原宿本陣跡の八幡神社に突き当たる。19年前の中山道歩きの時にも来ているのだが,その時の印象はない。まあ今回は,北国脇往還の関ケ原宿本陣と考えよう。関ケ原宿本陣跡のスタジイは,江戸時代から旅人を見守ってきたという古木で,県と町の天然記念物。北国脇往還は,八幡神社の西側を北に進み,東首塚を経て,関ケ原の合戦・徳川家康最後陣跡に向かう。

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徳川家康最後陣跡には,厭離穢土・欣求浄土ののぼりが立つ。近くには2020年に開館した,岐阜関ケ原古戦場記念館があるが,街道歩き優先で,今回はパス。北に進み,玉宿を経て,滋賀県米原市の藤川宿・春照宿を通り,小田(やないだ)で姉川を渡った。当初の目的地は,姉川古戦場だったが,長浜市相撲庭(すまいにわ)に入ったところで断念。湖国バス野一色バス停までもどって,ゴール。約17kmを休憩を含め6時間で歩いた。いっしょに歩いてくれたYさんと,次回の歩きを約束して帰った。

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2020/01/25

北国街道と脇往還

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「北国街道と脇往還ー街道が生んだ風景と文化」(市立長浜城歴史博物館:サンライズ出版)という本を読んだ。ヤマトタケルを調べていると,伊吹山での出来事に興味がわいた。先日紹介した「伝承地でたどる ヤマトタケルの足跡 ・尾張・美濃・近江・伊勢」という本によると,どうも北国脇往還の春照(すいじょう)宿に,ヤマトタケルと白猪の像があるらしい。俄然行ってみたくなった。というわけで,読み始めたのがこの本。

この本で言う北国街道とは,近江と越前を結ぶ道。北近江には,米原から長浜・木之本を経て国境を越える「北国街道」,関ヶ原から春照・小谷を経て木之本を結ぶ「北国脇往還」,米原から国友を経て小谷に至る「小谷道」の三本の街道があったという。

この本には,北国脇往還の経路mapも掲載されている。春照宿や藤川宿に近い上平寺館跡は,以前横田さんと歩いたところ。何だか楽しくなってきた。

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