2025/03/21

伊勢東街道三日目。美濃山崎駅から多度駅まで

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伊勢東街道三日目。養老鉄道美濃山崎駅から多度駅まで,寄り道を含めて約10kmを約4時間で歩いた。前回と同じでYさんとの二人旅。雄大な揖斐川の流れを見て海津橋を過ぎると,石津の古い町並が続く。国道258号を越えると,山除川沿いに南濃町太田・吉田・松山の集落が続く。ちょうど梅の花が満開で美しい。

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松山諏訪神社の大クスは,樹齢約1000年。樹高約24m,根元幹周囲約9.5mで岐阜県の天然記念物。荘厳な感じ。諏訪神社からは,濃尾平野が一望でき,遠く名古屋市中心部のビル群が見えた。
南濃町松山から南濃町境となり,県境を越えると三重県桑名市多度町柚井となる。ここからは,美濃街道という名称になる。多度川を渡り,尾津神社(戸津)を見学した。

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2024/11/23

伊勢東街道二日目/養老から美濃山崎まで

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伊勢東街道二日目。養老鉄道養老駅から美濃山崎駅までの13.5kmを約4時間で歩いた。前回と同じでYさんとの二人旅。道順でだいぶ助けられながら何とか山崎駅まで歩けた。前回の道は米原と濃州三湊(養老町)を結ぶ九里半街道と重なっていたが,船着灯籠群二か所を見学。この写真は,一色地区船見の灯籠。近くに津屋川が流れる。

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美濃津屋駅近くの本慶寺は津屋城跡。海津市史跡。
海津市HPには,「津屋城には、関ヶ原合戦まで高木八郎左衛門が居城していたが、西軍に従ったために没落し、廃城となった。現在、本慶寺境内地に主郭部の土塁・堀などが残り、旧態を推定することができる。」とある。

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2024/11/10

養老町/桜井白鳥神社

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牧田宿から伊勢東街道を南東に進むと,養老町桜井の集落となる。桜井白鳥神社は,ヤマトタケルゆかりの神社である。古事記の記述からすると,この地は伊吹山で敗れたヤマトタケルが,居醒めの清水で覚醒し,杖衝坂・尾津へ向かう途中の当芸(たぎ)の野にあたるのではないかとされる。この地には古代から伊勢街道が開かれ,ヤマトタケルが通ったことから「みゆきみち」とよばれていた。

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「境内に井戸があって,その水質が,桜のように甘美であるというので村名を桜井と名付けたといい,ヤマトタケルが伊吹山からの帰りにここで休息し,この水を賞味した」という。また,池の伝承には,日照りが続いたとき,桜井の白鳥神社の池の水をかき出すと必ず雨が降ったとされる。境内の「日本武尊遺跡桜の井」は,町史跡に指定されている。

なお,この南の上方(うわがた)集落にも,日本武尊を祭神とする上方白鳥神社がある。

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2024/11/03

伊勢東街道一日目/関ヶ原から養老まで

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伊勢東街道一日目。関ヶ原から牧田宿を経て養老駅までの13.5km,休憩・寄り道を含めると約5時間で18kmを歩いた。この道は,米原と濃州三湊(養老町)を結ぶ九里半街道と重なり,関ヶ原の戦いのときに薩摩軍が退路に使った伊勢西街道は,牧田宿で分かれる。
関ケ原町から大垣市の旧上石津町に入ったところの烏頭坂には,薩摩軍のしんがりをつとめた島津豊久の墓が残る。

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牧田宿は,九里半街道の中継地点で,江戸時代には尾張藩の庇護を受け栄えたという。牧田宿には二軒の五井家が問屋を務めていた。写真は,東五井家の旧郵便局で,大垣市の都市景観遺産となっている。
歴史的な町並みや常夜灯などもあったが,トイレ利用のために写真撮影もそこそこにファミマに急いだのが心残り。

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2023/12/23

伊勢街道六日目/斎宮駅から伊勢神宮内宮まで

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伊勢街道歩き六日目。前回終了した近鉄斎宮駅から小俣宿を経て宮川橋を渡り,伊勢神宮外宮前を通過して伊勢神宮内宮まで,約17kmを休憩を含め5時間半で歩いた 。2020年2月に四日市の日永追分をスタートしてから,途中のコロナ禍もあり,4年もかかってしまった。それでも我ながらよく頑張った。それにしても,宮川橋は細くて歩道もなく,こわかった。

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伊勢神宮内宮には,前回2021年3月に二見道を歩いたときに参拝しているので2年9か月ぶり。きちんと古市参宮街道とおはらい町を通って宇治橋まで到着した。とてもにぎやかだった。今回は,伊勢街道完歩を優先し,伊勢神宮外宮には寄らなかった。

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2023/10/21

伊勢街道五日目/松阪駅から斎宮宿まで

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1年半ぶりの伊勢街道歩き。前回終了した松阪市日野町交差点から,東松阪駅付近を通って,櫛田川を越え,近鉄斎宮駅まで,約10kmと斎宮歴史博物館への寄り道2kmを含めて約12kmを,約4時間で歩いた。本当はもっと先を進めたかったが,史跡斎宮跡発掘現地説明会に参加し,斎宮歴史博物館を見学したので,斎宮駅で本日終了。
写真は,櫛田川左岸・櫛田川の渡付近の道標。「右けかうみち,左さんくうみち」とある。けかうみち=下向道とは,帰り道のことだそうで,写真正面方向の道である。

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祓川では,斎宮に赴任する斎王が禊をしたという。河畔に桜が咲いていた。風情がある。

 

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2022/04/14

松坂商人の館

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大橋で阪内川を渡り,松坂宿の本町に入ると旧小津左衛門家 松阪商人の館がある。小津家は,1653(承応2)年創業の紙店で,江戸にも出店している豪商だそうだ。

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本町には,三井家発祥の地がある。三井家は近江の武士で,三井家の家祖高利の祖父三井越後守高安が松阪に来て,高利の父高俊が松阪で酒・味噌の商いを始めたという。「越後殿の酒屋」が越後屋の屋号の起源で,「三井越後屋」から「三越」の名称が誕生した。1635(寛永12)年,14歳の高利は,商売の才に長けた母殊法から10両分の松坂木綿を手に,江戸に出たという。その後1673(延宝元)年,高利は江戸で「三井越後屋呉服店」を開業する。「店前(たなさき)売り」と「現銀(金)掛け値なし」で繁盛した。
※参考:三井広報委員会HP



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2022/04/13

松浦武四郎誕生地

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津市の雲出(くもづ)から雲出川を渡ると,松阪市小野江町となる。小野江町には,北海道の名付け親とされる松浦武四郎誕生地がある。松阪市指定史跡だ。松阪市は,武四郎が生誕200年を迎える2018年2月に合わせ,この生家の「主屋」「離れ」の保存修理と,土蔵2棟と納屋の補強工事を行っている。武四郎は,生家前を通る伊勢街道の多くの旅人に刺激を受け,旅を志すようになったという。写真は,津方向(北向き)。

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松浦家は代々村をまとめる地士(じし)で,名字帯刀を許されていた。庄屋でもあったようで,年貢米があつめられた。「離れ」は年貢を納める人の接待に使われたそうだ。
 写真左から,主屋,土蔵1,2(中央),納屋。

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2022/04/12

伊勢街道四日目/高茶屋駅から松阪宿まで

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約半年ぶりの伊勢街道歩き。前回終了したJR高茶屋駅から,雲出(くもづ)宿,六軒,市場庄,久米を経て松坂宿まで約12kmと松坂城への寄り道約2kmを含めて約14kmを,資料館などの見学を含め6時間で歩いた。六軒から久米までは,昔ながらの町並みが随所に残され,とても濃厚な街道歩きだった。特に,久米の舟木家長屋門は,すごかった。舟木家は南北朝時代から続く名家で,江戸時代には久米村惣庄屋であったそうだ。

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この日は暑く,当初はJR徳和駅か近鉄櫛田駅まで行きたかったが,松阪に着いた途端に,目標をあっさりあきらめた。でも,日野町の和歌山道と参宮街道の追分まで到着。帰りは自分にご褒美で,近鉄名古屋まで特急で楽ちん。

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2021/10/19

津・江戸橋

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今回の伊勢街道歩きで,気になっていたところの一つが,津の江戸橋だ。江戸橋は,津藩主が参勤交代で江戸へ旅立つとき,ここで藩主を見送ったところだそうだ。元は木橋で,橋の西詰は,東海道関宿に至る伊勢別街道との追分となっている。写真の正面方向。

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50年ほど前,三重大学を受験するとき,近鉄江戸橋駅を降り,この江戸橋を渡って試験会場へ向かったのだと思う。当時のことは,何にも記憶がないが,本当に懐かしい。つい最近,江戸橋は付け替えられ,立派になった。

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