2023/01/19

八橋伝説地/業平塚

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知立市八橋町の八橋伝説地。愛知県の名勝である。
平安時代に成立した「伊勢物語」第九段に,三河国の「水ゆくかわの くもてなれば はしをやつわたせるによりて」とある。この地を流れる逢妻男川・逢妻女川がつくる湿地に八つの橋がかかっていたことから,八橋という地名が付いたという。

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在原業平は,八橋の地で美しく咲くカキツバタの花を見て,「かきつばた」の短歌を詠んだという。
業平塚は,在原業平の骨を分骨して築かれたとされ,業平を供養する宝篋印塔が建つ。室町時代のものとされる。

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2023/01/18

酒井神社と永福寺

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愛知の鎌倉街道歩きの七日目は,刈谷市西境町の酒井神社からスタートした。刈谷市教育委員会の設置した説明板によると,「酒井神社の北側を通る鎌倉街道は境川を渡って尾張国大久手(現豊明市)に通じていた。徳川家重臣『酒井』氏発祥の地とも言い伝えがあるが定かではない。」とある。興味深いことだ。

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永福寺の道祖神と秋葉殿という木額は,刈谷市指定文化財。
住職が,鎌倉街道を愛する有志たちが建てたという,境川堤防の「鎌倉街道西境」の碑がある場所を教えてくれた。

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2023/01/05

愛知の鎌倉街道を歩く/七日目・刈谷西境から宇頭へ

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愛知の鎌倉街道七日目を歩いた。刈谷市西境町の永福寺・酒井神社から,境川堤防の鎌倉街道西境の碑を見てスタート。東境の祖母神社,豊田市駒場,八橋・根上がりの松,不乗森(のらずのもり)神社,尾崎熊野神社を経て,宇頭駅でゴール。約12kmを休憩を含め7時間で歩いた。最後に宇頭観音を見てきたが,残念な感じだった。寒かった。

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豊田市駒場と知立市八橋は,鎌倉街道の表示が分かりやすかった。知立市に入るとすぐにかきつ姫公園があった。この地で,在原業平が

からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ

と詠んだという。 

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2023/01/03

二村山の鎌倉街道

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藤田医科大学正門(大清水交差点)を右に進み,駐車場から二村山展望台に登った。展望台付近には,峠地蔵堂や二村山勝地の石碑,そして鎌倉街道の碑がある。
二村山の鎌倉街道。平安から鎌倉・室町時代に多くの歌人が歌枕にして二村山の歌を詠み,紀行文に記したという。この説明板がある周辺には,源頼朝の句碑もある。古道が残っているのは,写真の右(西)。ここから,藤田医科大学の方へ下ってみた。

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藤田医科大学アセンブリホール(体育館)に出た。写真奥・突き当たりの駐車場の左に旧道の入口がある。

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2022/12/28

旧鳴海球場

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新海池公園を南下すると,名鉄自動車学校がある。この地は,旧鳴海球場である。もともとこの球場跡を訪れてみようと思っていたが,鎌倉街道歩きで,念願が叶った感じ。
鳴海球場は,1927(昭和2)年,愛知電気鉄道(現名古屋鉄道)によって建設され,1958(昭和33)年に閉鎖されたそうだ。それで,跡地が名鉄自動車学校になっていると,ガッテン!
掲示板によると,1936(昭和11)年に,この鳴海球場で東京巨人軍と名古屋金虎軍が対戦し,名古屋金虎軍が10対3で勝利したそうだ。東京巨人軍の沢村栄治投手が登板しているという。また,1934(昭和9)年には,日米野球が行われ,ルー・ゲーリックやベーブルースが来ているという。日米野球については,「追憶の日米野球Ⅱ 『大日本東京野球倶楽部』誕生」(中西満貴典=日本ドラゴンズ学会会員,2018 彩流社刊)に詳しい。

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2022/12/27

古鳴海八幡社

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地下鉄野並駅から藤川を渡り南に行くと,徐々に登りとなる。古鳴海といわれる地区である。鳴海町上ノ山に鎮座する古鳴海八幡社の説明板には,「当神社は 鳴海本貫の古邑であり 古代 鎌倉街道が通じていた歴史を持つ 古鳴海地区の鎮守である。」とある。
日本武尊が,当地から火高の里(現大高)の尾張氏館へ東進するとき,行路の無事を祈願されたという。

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この日,古鳴海八幡社では正月準備が行われていた。係の人にお許しを得てトイレを借りた。トイレの前に番猫のクロちゃんがいた。クロちゃんも「いいよ。」言ってくれた・・・ようだ。

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2022/12/25

愛知の鎌倉街道を歩く/六日目・古鳴海から二村山へ

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愛知の鎌倉街道六日目を歩いた。前回終了の地下鉄桜通線野並駅を降り,野並八剱社(写真上)を見てスタート。古鳴海八幡社,鳴海大塚古墳,新海池公園を経て,相原郷へ。鎌倉台中学校の前を通り,中京競馬場が見える高台を通って,藤田医科大学病院へ。二村山に登り,沓掛城跡を見学後,境川を渡って刈谷市西境町でゴール。バスで名鉄富士松駅へ周り,帰路についた。約15kmを休憩を含め6時間で歩いた。

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今回は,新しいスマホにして大いに助かった。twitterへのUPも順調。藤田医科大学病院から二村山展望台へ上がる道で迷ったが,Google mapに案内してもらいなんとか到着。沓掛城跡から刈谷市との境にある飛鳥井雅世の歌碑までの間も活用。やっぱり,電池長持ちはよい。

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2022/12/10

井戸田町界隈

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大喜寺付近の細い道を南下すると,瑞穂区井戸田町となる。写真の長福寺の北と東を鎌倉街道が通っていたという。鎌倉街道の表示もあるようだが,長福寺から南に下る道の先が気になって,見逃してしまった。

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龍泉寺(りょうせんじ)は,1467(応仁元)年に創建された曹洞宗の寺院で,門前の亀井水は,源頼朝が産湯に使用した井戸水とされている

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2022/12/07

尾陽神社/御器所八幡宮

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地下鉄東別院駅2番出口を出て,3つめの辻を南に入る。すぐに左に曲がり道なりに進むのが鎌倉街道。新堀川を向田橋で越え,JR中央本線のガードをくぐって進む。名古屋高速大高線をくぐりしばらく行くと尾陽神社がある。尾陽神社は,尾張藩初代藩主徳川義直(尾陽公)と最後の藩主14代徳川慶勝を祀る。この地は,御器所西城跡で,織田信長に仕えた佐久間盛次の居城とされている。

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尾陽神社から南東に進むと,御器所八幡宮がある。もともとこの地域は熱田神宮の所領で,熱田神宮の神事に使う土器を作っていたことから御器所(ごきそ)という地名が付いたそうだ。御器所八幡宮は,御器所一帯の総鎮守で,熱田神宮の鬼門にあたる。
御器所付近には村雲町・御劔町など,熱田神宮の神体・草薙剣(天叢雲剣・あめのむらくものつるぎ)に由来する地名がある。鎌倉街道は,南下し井戸田に進む。

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2022/12/06

古渡稲荷神社/山王神社

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山王橋で堀川を渡りしばらく行くと,古渡交差点手前(交差点南西)に古渡稲荷神社がある。この神社は,1713(正徳3)年 尾張藩第4代藩主の徳川吉通(よしみち)が、丹羽郡石枕村(江南市石枕)にあった稲荷社を古渡のこの地に移したと伝わる。古渡は,東西を行く小栗街道(鎌倉街道)と南北の美濃路の交差する地点であった。
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この付近には遊郭や芝居小屋などが集まり,賑わっていたという。芸所名古屋の中心地であった。尾張藩第7代藩主徳川宗春は,町を活性化させる政策をとったが,徳川第8代将軍徳川吉宗により謹慎させられたという。

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古渡稲荷神社の境内には,山王神社がある。山王という地名のゆかり。

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