2023/01/19
2023/01/18
2023/01/05
2023/01/03
2022/12/28
旧鳴海球場
新海池公園を南下すると,名鉄自動車学校がある。この地は,旧鳴海球場である。もともとこの球場跡を訪れてみようと思っていたが,鎌倉街道歩きで,念願が叶った感じ。
鳴海球場は,1927(昭和2)年,愛知電気鉄道(現名古屋鉄道)によって建設され,1958(昭和33)年に閉鎖されたそうだ。それで,跡地が名鉄自動車学校になっていると,ガッテン!
掲示板によると,1936(昭和11)年に,この鳴海球場で東京巨人軍と名古屋金虎軍が対戦し,名古屋金虎軍が10対3で勝利したそうだ。東京巨人軍の沢村栄治投手が登板しているという。また,1934(昭和9)年には,日米野球が行われ,ルー・ゲーリックやベーブルースが来ているという。日米野球については,「追憶の日米野球Ⅱ 『大日本東京野球倶楽部』誕生」(中西満貴典=日本ドラゴンズ学会会員,2018 彩流社刊)に詳しい。
2022/12/27
2022/12/25
愛知の鎌倉街道を歩く/六日目・古鳴海から二村山へ
愛知の鎌倉街道六日目を歩いた。前回終了の地下鉄桜通線野並駅を降り,野並八剱社(写真上)を見てスタート。古鳴海八幡社,鳴海大塚古墳,新海池公園を経て,相原郷へ。鎌倉台中学校の前を通り,中京競馬場が見える高台を通って,藤田医科大学病院へ。二村山に登り,沓掛城跡を見学後,境川を渡って刈谷市西境町でゴール。バスで名鉄富士松駅へ周り,帰路についた。約15kmを休憩を含め6時間で歩いた。
今回は,新しいスマホにして大いに助かった。twitterへのUPも順調。藤田医科大学病院から二村山展望台へ上がる道で迷ったが,Google mapに案内してもらいなんとか到着。沓掛城跡から刈谷市との境にある飛鳥井雅世の歌碑までの間も活用。やっぱり,電池長持ちはよい。
2022/12/10
2022/12/07
尾陽神社/御器所八幡宮
地下鉄東別院駅2番出口を出て,3つめの辻を南に入る。すぐに左に曲がり道なりに進むのが鎌倉街道。新堀川を向田橋で越え,JR中央本線のガードをくぐって進む。名古屋高速大高線をくぐりしばらく行くと尾陽神社がある。尾陽神社は,尾張藩初代藩主徳川義直(尾陽公)と最後の藩主14代徳川慶勝を祀る。この地は,御器所西城跡で,織田信長に仕えた佐久間盛次の居城とされている。
尾陽神社から南東に進むと,御器所八幡宮がある。もともとこの地域は熱田神宮の所領で,熱田神宮の神事に使う土器を作っていたことから御器所(ごきそ)という地名が付いたそうだ。御器所八幡宮は,御器所一帯の総鎮守で,熱田神宮の鬼門にあたる。
御器所付近には村雲町・御劔町など,熱田神宮の神体・草薙剣(天叢雲剣・あめのむらくものつるぎ)に由来する地名がある。鎌倉街道は,南下し井戸田に進む。
2022/12/06
古渡稲荷神社/山王神社
山王橋で堀川を渡りしばらく行くと,古渡交差点手前(交差点南西)に古渡稲荷神社がある。この神社は,1713(正徳3)年 尾張藩第4代藩主の徳川吉通(よしみち)が、丹羽郡石枕村(江南市石枕)にあった稲荷社を古渡のこの地に移したと伝わる。古渡は,東西を行く小栗街道(鎌倉街道)と南北の美濃路の交差する地点であった。
→美濃路古渡一里塚
この付近には遊郭や芝居小屋などが集まり,賑わっていたという。芸所名古屋の中心地であった。尾張藩第7代藩主徳川宗春は,町を活性化させる政策をとったが,徳川第8代将軍徳川吉宗により謹慎させられたという。
古渡稲荷神社の境内には,山王神社がある。山王という地名のゆかり。
より以前の記事一覧
- 松重閘門 2022.12.05
- 中川運河/小栗橋 2022.12.04
- 愛知の鎌倉街道を歩く/五日目・東別院から野並 2022.12.03
- 中井筋緑道/楠橋 2022.11.14
- 黄金跨線橋から愛知公園 2022.11.13
- 愛知の鎌倉街道を歩く/四日目・清洲土田から東別院 2022.11.12
- 下津城跡と鎌倉街道の碑 2022.10.18
- 笠懸の松 一名 下り松 2022.10.17
- 妙興寺 2022.10.16
- 愛知の鎌倉街道を歩く/三日目・下津から清洲 2022.10.15
- 石刀神社(いわとじんじゃ) 2022.10.07
- 一宮市木曽川資料館 2022.10.04
- 愛知の鎌倉街道を歩く/二日目・玉ノ井から一宮 2022.10.03
- 北宿城跡と兒神社 2022.09.15
- 足近西方寺と源平古戦場 2022.09.12
- 愛知の鎌倉街道を歩く/一日目・南宿から玉ノ井 2022.09.11
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