2018/06/07

「中世の東海道をゆく」を読んで

「中世の東海道をゆく-京から鎌倉へ,旅路の風景」(榎原雅治著 中公新書1944 中央公論社)を読み終えた。

今まで,五街道を歩き終え,二回目の東海道もあと二回ぐらいで歩き終える。歩いている中で,江戸時代以前にも東海道に道があることを知り,中世の東海道に興味を持った。

鎌倉時代の貴族・飛鳥井雅有が東海道を旅したときの旅日記「春の深山路」「都の別れ」などの記述をもとに,中世の東海道の風景を想像していくという書籍で,電子書籍版で読んだ。
とにかくおもしろい。
中世の熱田から鳴海間の東海道は,鳴海潟という海を通っていて,旅人は干潮を待ち歩いて渡ったという。

また,浜名湖の今切は1498(明応7)年の大地震または翌年の高潮ででき,浜名湖が海とつながったという通説は江戸時代の根拠希薄な文献からきていること。中世の旅日記を読み解くと,明応年間以前から浜名湖には海の水が遡上しているとしている。また,榎原氏は,今から千年前すなわち平安時代には塩分を含んだ珪藻が多くなっているという浜名湖の湖底ボーリング調査の結果を引用し説明している。

旅日記を読み解き,旅人が通過した時刻の潮位を調べ,その当時の風景まで想像するすごい内容だ。
沼田新田や浮島が原,横須賀城周辺を流れる前川・原野谷川,木曽三川・・・。また行ってみたくなった。

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2018/04/29

歩いてわかる旧東海道/箱根旧街道と後北条氏

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平成30年4月27日(金)に,豊橋市石巻地区市民館で,自主サークル「姫街道」の会があり,「歩いてわかる旧東海道/箱根旧街道と後北条氏」という題で話をした。この会では,姫街道のことを中心に三遠南信地域のことを学習している。今回,歩いた経験を話してほしいということなので,箱根旧街道のことを中心に話をした。
箱根旧街道を歩くと,豊臣秀吉の小田原征伐や後北条氏の歴史にふれることが多く,このテーマにした。会員の皆さんが,私のつたない話を熱心に聞いてくださり,うれしかった。

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この写真は,箱根湯元の街道(1880年…着色ガラス写真)
「百年前の日本」(セーラム・ピーポディー博物館蔵 モース・コレクション/写真編
:構成・小西四郎+岡秀行 小学館1983年発行)より

話の内容は,次の通り。

1 旧東海道と五街道の旅
 ①東海道 ②中山道 ③甲州道中 ④日光道中 ⑤奥州道中
2 旧東海道/箱根八里
 (1) 三島宿
 (2) 箱根宿
 (3) 小田原宿
3 箱根路の移り変わりと石畳
 (1) 箱根路の移り変わり
   ① 碓氷道(古代) ②足柄道(奈良・平安) ③湯坂道(鎌倉・室町) ④旧東海道(江戸)
 (2) 江戸時代の箱根旧街道
4 箱根関所
5 後北条氏
 初代:北条早雲 2代:氏綱 3代:氏康 4代:氏政 5代:氏直
6 山中城
7 早雲寺
8 石垣山一夜城
9 小田原城 


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2018/04/23

品濃一里塚と保土ケ谷宿・神奈川宿

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平成30年4月22日,東海道歩き二回目の29日目。今回は,戸塚駅から保土ケ谷宿を経て,神奈川宿・東神奈川駅まで約14kmを,約6時間で歩いた。とらぞうさんとteraさんが,一日付き合ったくださり,地図を見ることなく無事に歩き終えた。14年前に歩いたときも,あんずさん・☆丸さん・teraさんたちに案内してもらっている。歩きの友に本当に感謝している。
今回,本当は川崎か鶴見あたりまで行きたかったが,気温が30度近くまで上がり熱中症の心配もあったので,無理をせず東神奈川駅までで歩き終えた。

まず,前回の終点,戸塚大踏切の東側へ。この間は夜だったが,やはり朝はよい。街が明るい。戸塚区内では14年前に比べ,街道の案内板が整備されたと感じる。前回見過ごしてしまった戸塚一里塚も見つけることができた。
品濃一里塚では,とらぞうさんに一里塚公園を案内してもらい,東塚の写真を間近で写すことができた。実は前回もこの写真を撮っているが,よく見るとすべり台の向きが逆だった。

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保土ケ谷宿では,上方見附跡と保土ケ谷一里塚が復元されていた。以前歩いたときには看板だけで,松も植えたばかりだったが,松が生長し旧街道らしくなった。今井川には鯉のぼりも泳ぎ,もうすぐこどもの日。


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2018/03/21

ない!戸塚の大踏切/平塚宿から戸塚宿へ

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平成30年3月18日,東海道歩き二回目の28日目。今回は,平塚駅から藤沢宿を経て,戸塚駅まで約22kmを,約7時間で歩いた。戸塚駅から茅ヶ崎までは☆丸さんとteraさんが,茅ヶ崎から戸塚駅までは引き続いての☆丸さんと,そしてとらぞうさんが一緒に歩いてくれた。地元の三人の案内で,道をまちがえることなく安心して歩くことができた。感謝!感謝!

まず,馬入一里塚と馬入渡川会所跡の碑を見学。二つとも一回目の東海道歩きでは見学していないところで,よかった。そして,茅ヶ崎市に入り,相模川の橋脚遺跡を見学。発見されてから年月がたつため,保存処理がされ,見えるのは樹脂製のレプリカだそうだ。

残念ながら南湖の左富士を見ることはできなかったが,茅ヶ崎市街地は整備されていた。西半分は自転車通行帯が水色のカラー舗装ですがすがしかった。以前の街道歩きのときは,自転車のチリーンチリーンで不愉快な思いをしたが,今回は控えめな3チリーンで済んだ。かえって茅ヶ崎市内を抜けてから,大きい音で鳴らされ,驚いた。それにしても,茅ヶ崎や辻堂には素敵な松並木があって,良い気持ちだった。

藤沢宿は,東海道沿いが電柱地中化できれいだった。紅太陽藤沢本町店で昼食。担々麺がおいしかった。

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遊行寺坂を登り,いよいよ横浜市戸塚区に入る。でも,この頃になると,疲れで☆丸さんととらぞうさんから遅れることが多くなった。足も痛くなってきた。それでも,原宿,大坂と進み,何とか戸塚宿上方見附を通過。やれやれ。戸塚駅周辺も整備され大都会に変っていた。国道1号は地下に潜り,東海道線の踏切はなくなっていた。

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2018/02/25

大磯宿から平塚宿へ/旧吉田茂邸見学

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昨日2月24日は,東海道歩き二回目の27日目。今回は,東海道線普通電車で約4時間かけて国府津駅まで行き,大磯宿から平塚宿まで歩いた。約19km,6時間の歩きで,東海道区間は,14km,5時間となる。

国府津駅から東へ歩く。この日のコースは,ほぼ国道1号ぞい。日本橋から77kmのポストを過ぎると,大山道(羽根尾通り)の道しるべがあった。ああ,とらぞうさんが頑張って歩いているところの一つだと思いながら,車坂,茶屋の松屋本陣,押切坂一里塚を通過。梅沢の名残の東海道では,梅が咲きちょっとほっこり休憩。

やがて,県立大磯城山公園に着く。前回は公園前を通過したが,今回はじっくり見学した。大磯城山公園は旧三井財閥本家別邸跡に整備され,大磯町郷土資料館は,その三井別邸城山荘を模して作られたそうだ。展示では,この地域の野鳥の剥製の展示が充実していてよかった。展望台からは,大磯の海がよく見えてすばらしい。

そして,郷土資料館別館である,旧吉田茂邸も見学した。この建物は,数年前に焼失したものを,復元した建物だそうだ。ここからの眺望もすばらしく,外国からの賓客も満足したことだろう。15年前の一回目の東海道歩きのときに見学しなかったことが残念。東海道歩きのツアー客でいっぱいだった。

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大磯の松並木・大磯宿を過ぎると,高麗山と高来神社がある。高来神社に参拝。ゆっくり休もうと思ったら,団体客が来たので,すぐにあるきを再開。花水橋を渡り,平塚宿に入った。
平塚宿は,見付跡や本陣・高札場の石碑はあるが,昔のものはあまり残っていない。

西改札口から平塚駅に入ると,ちょうど快速アクティー熱海行きがきた。帰りは平塚からなので,4時間半もかかった。

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2018/02/15

萩さんのHP20周年/ふらっと旧東海道ReturnsをUP

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ふらっと旧東海道Returns(二回目の東海道歩き)のページをNiftyのホームページにUPしました。
これから一年計画で,京都から日本橋までをUPしていく予定です。

ふらっと旧東海道Returns(二回目の東海道歩き)

今日が,萩さんのホームページができて20年となりました。
今までいろいろご支援くださいまして,ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

とりあえず,このブログからのみリンクしています。


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2018/01/22

東海道/小田原宿・入生田から国府津まで

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昨日1月21日は,東海道歩き二回目の26日目。今回は横田さんとともに,東海道本線早川駅から石垣山一夜城に登り見学。小田原城総構を歩く横田さんと別れ,前回の終了地点,箱根登山鉄道入生田駅までもどり,そこから小田原城を経て国府津駅までの一人歩き強行軍だった。スマホのデータでは約24km,約8時間の歩行。東海道区間は,約11km,3時間となる。
入生田駅に着いたのが,12時。懐かしい小田急ロマンスカーを見ながら進み,板橋地蔵尊にお参り。板橋には内野邸という立派な建物がある。1903(明治36)年に建てられたそうで,醤油の醸造業を営んでいたそうだ。

小田原宿では,ういろう(外郎博物館)に寄って,お菓子のういろうを購入。耐震補強で改装した小田原城の天守閣にも登った。いずれも一回目の東海道歩きのときには,距離を稼ぐために立ち寄っていない。今回は,楽しめた。

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やはり前回から15年もたつと,街道の建物も大きくかわる。酒匂川を渡った旧川辺本陣には,社会福祉法人ゆりかご園「地域育児センター」の看板が掲げられていた。また,小田原宿の脇本陣だった古清水旅館は,プラージュ古清水という高齢者向け賃貸住宅となっていた。

石垣山一夜城は,標高約260m。往復と城跡の見学で3時間。これが,街道歩きにこたえた。無理はできない。

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2017/12/04

東海道/元箱根港から箱根湯本へ

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東海道歩き二回目の25日目。雪が降る前に箱根を下ろうと,急遽前回終了した元箱根港から湯本茶屋を経て,入生田(いりうだ)駅まで約12kmを約5時間で歩いた。
新幹線で熱海駅まで行き,まず熱海駅から伊豆箱根バスで元箱根まで行った。十国峠登り口から見る富士山がきれいだった。
歩き始めは,箱根神社の大鳥居を10時40分。権現坂を登り始める。石畳を歩くのは疲れるので,横に作られた平らな階段のようなところを歩いて行った。各所にある石畳の説明板によると,これは排水路だそうだ。斜めの排水路もあった。江戸時代にこんなものを作るなんて,すごい。今更ながらに感心した。
甘酒茶屋から見晴らし茶屋の下りは,紅葉真っ盛り。とてもきれいだった。このコースは須雲川自然探勝歩道として整備され,箱根旧街道と新設歩道からなる道だ。割石坂からは東電の発電設備の方に曲がって下りていく道。本当は丸太橋があるそうだが,今回は吊り橋を渡り,森の中へ。ガイドブックにない道なので,スマホのグーグルマップを頼りに進む。少し怖かった。山道を出ると,女転坂の碑があった。どうも,前回には通行止めになっていた道だと思われる。ホッ。
それでも,下りでブレーキをかけ続けたため,足の親指に負担がかかり痛くなった。
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湯本茶屋では,前回見つけることができなかった一里塚を発見。早雲寺を見学し,三枚橋を過ぎ,入生田駅まで歩いたところでダウン。箱根登山鉄道で小田原駅に向かった。歩き始めが遅かったのが響いて,当初の目標・小田原駅まで歩くことはできなかった。それでも,これからは平地の歩きとなる。

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2017/11/12

東海道/山中城跡から元箱根港まで

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東海道歩き二回目の24日目。今回は,横田さんと山中城跡をじっくり見学し,その後箱根峠を経て箱根宿・元箱根港まで歩いた。全部で約17km,6時間,東海道部分では,約9km,3時間の街道歩きとなった。

山中城跡は,前回も見学したが,そのときは今ほど歴史に興味がなく,きちんと見学してこなかった。
今回は城マニアの横田さんの名ガイドにより,よく分かった。北条氏が今川氏に対抗するために作ったが,豊臣秀吉の小田原攻めのときに落城したという。勉強になった。前回行かなかった「岱崎小丸(だいさきこまる)」も見学した。岱崎小丸からは,富士山がきれいに見えた。
写真は,二の丸の畝堀。

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山中城を2時間見学した後,いよいよ箱根西坂の登りとなった。途中,旧街道と国道1号の危険な交差を進みながら,頑張ること2時間。箱根峠に到着。やれやれ。と思ったら,箱根峠の旧道が分からない。危うく箱根新道に行きかけたが,ここは相棒横田さんのおかげで,旧道に復帰。向坂を必死に登ってきた人を尻目に,こちらは悠々下山。箱根宿に入った。
箱根宿のメインは,やはり箱根関所。前回は工事中だったが,今回は復元されていて,見学することができた。番所前では,関所改めの寸劇が楽しかった。そして,遠見番所に登ると,箱根関所と芦ノ湖の絶景があった。感激。
箱根宿の道路は,観光客の車で大渋滞。歩きだと,駐車場の心配がなくいいね。


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2017/11/04

姫街道/浜松宿から三方原追分へ

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東海道の脇往還・姫街道(本坂道)を,浜松宿起点の連尺交差点(浜松城大手門跡)から,三方原追分まで約8kmを約2時間半で歩いた。
まず,浜松駅から北に歩き,東海道の板屋交差点から西に進み,連尺交差点まで歩いた。東海道は,一旦南下する。姫街道は,連尺交差点をそのまま西に進み,ひくま坂を登る。高町交差点を北に進みしばらくすると,史跡「犀ヶ崖」となる。犀ヶ崖には,先週自主サークル「姫街道」の散策会で立ち寄っている。戦国時代,三方原の合戦で敗れた徳川家康は浜松城に逃げ帰り,追う武田軍がここ犀ヶ崖付近に迫ったが,地理不案内の武田軍は徳川方の戦法に惑わされ,多くの戦死者を出したという。
姫街道の通りと,崖の下を写してみたが,なんだかよく分からない。

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浜松宿から三方原追分までの姫街道は,道中奉行管轄の官道である。途中,家康ゆかりの地名が多く残っている。
三方原の合戦で敗走中,家康が茶店で小豆餅を食べたので,小豆餅(あずきもち)。小豆餅の代金を払わず逃げようとした家康から,代金を取ったので銭取(ぜにとり)。
小豆餅 銭取本舗 御菓子司「あおい」で,小豆餅を買って帰った。

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