2023/09/18

愛知の鎌倉街道を歩く/十二日目・和田辻から鞍掛神社を経て二川まで

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愛知の鎌倉街道十二日目を歩いた。和田辻から牛川町乗小路・多米町・飯村町を経て二川駅まで,ほぼ山沿いのコース。石巻山を見ながら進むと,柿畑には彼岸花が咲き始めていた。乗小路峠の入口は通行止めになっていた。牛川洞窟遺跡を見て,多米の赤岩山赤岩寺,鞍掛神社に。飯村から東山の松明峠のふもとをまわって,伊寳石(いぼいし)神社まででゴール。約15kmを,休憩を含めて5時間で歩いた。
本当は,新所原まで行き愛知の鎌倉街道歩き最終日としたかったが,暑さのために途中でダウン。

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久しぶりに牛川洞窟遺跡に行った。乗小路の山には石灰石の鉱山があり,1957(昭和32)年に採掘中に,ここで発見された人骨は牛川原人と命名されたが,現在では動物の骨であったという説が有力。

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2023/04/12

当古の渡しと中山家

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愛知の鎌倉街道。三明公園の河岸段丘を下ると豊川(とよがわ)の沖積地を歩くことになる。ここからは,姫街道(本坂道)を歩いた。豊川にかかる当古橋を越えると,豊橋市となる。中央奥の山は,石巻山。

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当古橋北詰・西側の堤防下には当古橋公園があり,「中山家と当古の渡し」碑がある。当古の渡しは,中山家が渡船の御用を任ぜられていた。中山家の先祖は,徳川秀忠の生母於愛の方がでた西郷氏の一族で,石巻中山町の五本松城の代官であったという。

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2023/03/08

愛知の鎌倉街道を歩く/九日目・美合から山中・本宿へ

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きのう,愛知の鎌倉街道九日目を歩いた。岡崎市の名鉄男川駅をスタート。乙川河畔を歩き,生田城跡から美合町内を進み,岡町の山綱川河畔を行く。この地域では生田(しょうだ)蛍を放流している。東海道藤川宿を南北に横切り,山中八幡宮に抜け舞木町から天神山を越え,東海中学校の校地を抜け,本宿に至る。本宿の裏山の新興住宅地を抜け鉢地(はっち)町まで,約15kmを休憩を含め6時間で歩いた。

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藤川宿の称名寺から藤川台に向かう古道?。鎌倉街道は,藤川台入り口から東へ向かうが,森林とジェイテクトの敷地に阻まれる。藤川宿に戻り,藤川宿東棒鼻の先,市場町交差点を南に進むが,山中八幡宮へ抜ける道は発見できなかった。一度山道に入ってみたが,ぐるっと回って同じ所へ。大失敗。このロスタイムが響き,当初予定した名電長沢駅まで歩くのをあきらめた。

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2023/02/07

渡八幡宮/渡古戦場跡

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JR西岡崎駅北側の岡崎市大和町沓市場付近は,鎌倉街道の矢作西宿とされる。
大和町を東へ行くと渡町となる。この地は,鎌倉街道の矢作川渡船の場。渡八幡宮が鎮座する。
平安時代の835(承和2)年の太政官符には,三河国,矢作・飽海の両河川にそれぞれ2艘の船が追加され4艘の渡船となったことが記されている。

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渡八幡宮から東海道本線のガードをくぐって南に進むと諏訪神社があり,その境内に渡古戦場跡がある。松平広忠と松平信孝が戦った所という。ただ,渡古戦場跡の石碑を見逃してしまった。

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2023/02/06

前庭天神社/JR東海・HC85

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山碕神明社前の道を東に行く。鎌倉街道は,JR東海道本線沿いに続く。安城市から岡崎市新堀町となる。
前庭(まえば)天神社と院庭(いんば)天神社が併せて奉祀されている。この地は,かつて伊勢神宮の三河国河内御薗だったといい,大化の改新以前の三河国の国衙があったという。とすると,ここを古代の東海道が通っていたとしても良いような気がする。写真は,西向き。

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前庭天神社を東に進むとJR西岡崎駅がある。さらに進んで渡八幡宮までの間に,東海道本線の電車がスピードを出して何本も通る。
そんななか,少しスピードを落として走る列車があった。よく見ると,JR東海のハイブリット式特急型気動車HC85のようだ。本来,高山本線の特急ひだとして運行しているはずの車両が,こんな所で見られるのは実にラッキー。今年は良いことがありそうだ。

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2022/11/27

東海道五十七次講演会

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豊橋市民センター(カリオンビル)で,豊橋市二川宿本陣資料館主催の東海道五十七次講演会が行われた。
講演は次の通り。
①東海道町民生活歴史館館長(元JR東海専務)の志田威氏が「教科書も伝え始めた大坂への東海道五十七次」
②草津市草津宿街道交流館館長の八杉淳氏が「道の国・近江と東海道草津宿」
③豊橋市二川宿本陣資料館館長の和田実氏が「東海道と二川宿」

志田氏は蒲原宿の出身。東海道町民生活歴史館となっている志田邸は,醤油を扱う商家で,建造物は国登録有形文化財となっている。その志田氏は,徳川幕府が定めた宿駅制を正しく学校教育で伝えるべきであると熱弁。東海道は一般的に京までの五十三次(品川~大津)と知られているが,本来は髭茶屋追分から,伏見・淀・枚方・守口の四宿を含めた五十七次であることを強調した。五十七次については認識していたが,人馬継立と継飛脚のことは,改めて再認識した。

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2022/10/06

香川元太郎/城郭原画展

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ふらっと豊橋市二川本陣資料館に立ち寄ったら,「甦る名城 香川元太郎 城郭原画展」をやっていた。香川元太郎氏は,日本画家でイラストレーター。日本全国の城郭を描いている。また,迷路絵本も有名だそうだ。書籍を購入した特典で,ポスターをいただいた。吉田城の原画,美しい。吉田城の他,吉田城下の東海道・吉田大橋も描かれている。
今回の原画展では,初公開の船形山城の原画も展示されている。普門寺も描かれていて,貴重。

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2022/01/14

なごやの鎌倉街道をさがす

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「なごやの鎌倉街道をさがす」(池田誠一著 2012年 風媒社)を読んだ。
ここでの鎌倉街道は,京から鎌倉に通じる中世の道のことで,本書では主に名古屋市内の道を紹介している。萱津から,古渡,熱田,笠寺などは,これまでの街道歩きや取材で行ったところ。いずれ愛知県内の鎌倉街道を歩いてみたいと思っている。

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2020/10/18

表浜街道その1/白須賀から東赤沢

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渥美半島の表浜街道を,静岡県湖西市の白須賀から愛知県豊橋市東赤沢町まで約14.5kmを5時間で歩いた。東赤沢から最寄りバス停レイクヒルズまでの約2kmと寄り道をふくめると約18kmになる。久しぶりの街道歩きだ。

白須賀から豊橋市内に入り,東から順に細谷・小島・寺沢・東七根・西七根・高塚・伊古部・東赤沢と歩いた。途中サザンカ寺の医王寺や,小松寺観音・東観音寺にも寄った。ほぼ国道42号を歩くことになったが,所々に旧道と思われる道が残っていて,楽しい街道歩きとなった。写真は,豊橋市高塚町付近。

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表浜街道は,伊勢街道とも呼ばれ,往事はお伊勢まいりの旅人が通った道だ。もともと,海岸沿いを通っていたが,度重なる津波の被害で街道や街道沿いの集落は,内陸の高台への移転を余儀なくされたという。東七根町付近の国道42号からは,太平洋を眺めることができた。この辺りの標高は60mぐらい。

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2020/08/02

年魚市潟勝景石碑と松巨島

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旧東海道呼続付近は,中世まで海に浮かぶ松巨島(まつこじま)という島であったという。名古屋市南区呼続二丁目にある「熊野三社」境内には,松巨嶋と彫られた手洗いがあると知り,行ってきた。残念ながら,手洗いにはゴザが巻いてあって,見ることができなかった。説明板には「呼続の台地一帯は昔白砂青松の景勝地で松巨嶋といわれ「尾張徇行記」に記されている」と書かれている。

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続いて,「年魚市潟(あゆちがた)勝景」石碑を見に行った。「年魚市潟」の住所をカーナビにセットしたがよく分からず,白毫寺の門前に行くと「年魚市潟勝景」の説明板があった。ちょうどそのとき,車で住職さんがお帰りになった。「年魚市潟」の碑のことを訪ねると,親切に教えてくださり,白毫寺のパンフレットまでくださった。うれしかった。パンフレットによると,「当寺境内地は,古来松巨嶋の北西部に位置し,高台地の下は,「年魚市潟」と称せられておりました。・・・」とある。

中世の東海道では,この「年魚市潟」を干潮のときに歩いて渡ったという。

家で,自分のHPの記述を更新しようとアクセスすると,「ふらっと旧東海道」のサイドメニューからのリンクが切れていることが分かった。Niftyのサーバーにある「美濃路」のページはよいが,あとはダメ。どうやら,ハードディスクを替えたせいでリンク先が間違っているようだ。アクセスしてくださったみなさん,ご迷惑をおかけしました。リンク修正するのは,しばらく先になります。

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