2022/11/27

東海道五十七次講演会

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豊橋市民センター(カリオンビル)で,豊橋市二川宿本陣資料館主催の東海道五十七次講演会が行われた。
講演は次の通り。
①東海道町民生活歴史館館長(元JR東海専務)の志田威氏が「教科書も伝え始めた大坂への東海道五十七次」
②草津市草津宿街道交流館館長の八杉淳氏が「道の国・近江と東海道草津宿」
③豊橋市二川宿本陣資料館館長の和田実氏が「東海道と二川宿」

志田氏は蒲原宿の出身。東海道町民生活歴史館となっている志田邸は,醤油を扱う商家で,建造物は国登録有形文化財となっている。その志田氏は,徳川幕府が定めた宿駅制を正しく学校教育で伝えるべきであると熱弁。東海道は一般的に京までの五十三次(品川~大津)と知られているが,本来は髭茶屋追分から,伏見・淀・枚方・守口の四宿を含めた五十七次であることを強調した。五十七次については認識していたが,人馬継立と継飛脚のことは,改めて再認識した。

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2022/10/06

香川元太郎/城郭原画展

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ふらっと豊橋市二川本陣資料館に立ち寄ったら,「甦る名城 香川元太郎 城郭原画展」をやっていた。香川元太郎氏は,日本画家でイラストレーター。日本全国の城郭を描いている。また,迷路絵本も有名だそうだ。書籍を購入した特典で,ポスターをいただいた。吉田城の原画,美しい。吉田城の他,吉田城下の東海道・吉田大橋も描かれている。
今回の原画展では,初公開の船形山城の原画も展示されている。普門寺も描かれていて,貴重。

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2022/01/14

なごやの鎌倉街道をさがす

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「なごやの鎌倉街道をさがす」(池田誠一著 2012年 風媒社)を読んだ。
ここでの鎌倉街道は,京から鎌倉に通じる中世の道のことで,本書では主に名古屋市内の道を紹介している。萱津から,古渡,熱田,笠寺などは,これまでの街道歩きや取材で行ったところ。いずれ愛知県内の鎌倉街道を歩いてみたいと思っている。

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2020/10/18

表浜街道その1/白須賀から東赤沢

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渥美半島の表浜街道を,静岡県湖西市の白須賀から愛知県豊橋市東赤沢町まで約14.5kmを5時間で歩いた。東赤沢から最寄りバス停レイクヒルズまでの約2kmと寄り道をふくめると約18kmになる。久しぶりの街道歩きだ。

白須賀から豊橋市内に入り,東から順に細谷・小島・寺沢・東七根・西七根・高塚・伊古部・東赤沢と歩いた。途中サザンカ寺の医王寺や,小松寺観音・東観音寺にも寄った。ほぼ国道42号を歩くことになったが,所々に旧道と思われる道が残っていて,楽しい街道歩きとなった。写真は,豊橋市高塚町付近。

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表浜街道は,伊勢街道とも呼ばれ,往事はお伊勢まいりの旅人が通った道だ。もともと,海岸沿いを通っていたが,度重なる津波の被害で街道や街道沿いの集落は,内陸の高台への移転を余儀なくされたという。東七根町付近の国道42号からは,太平洋を眺めることができた。この辺りの標高は60mぐらい。

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2020/08/02

年魚市潟勝景石碑と松巨島

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旧東海道呼続付近は,中世まで海に浮かぶ松巨島(まつこじま)という島であったという。名古屋市南区呼続二丁目にある「熊野三社」境内には,松巨嶋と彫られた手洗いがあると知り,行ってきた。残念ながら,手洗いにはゴザが巻いてあって,見ることができなかった。説明板には「呼続の台地一帯は昔白砂青松の景勝地で松巨嶋といわれ「尾張徇行記」に記されている」と書かれている。

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続いて,「年魚市潟(あゆちがた)勝景」石碑を見に行った。「年魚市潟」の住所をカーナビにセットしたがよく分からず,白毫寺の門前に行くと「年魚市潟勝景」の説明板があった。ちょうどそのとき,車で住職さんがお帰りになった。「年魚市潟」の碑のことを訪ねると,親切に教えてくださり,白毫寺のパンフレットまでくださった。うれしかった。パンフレットによると,「当寺境内地は,古来松巨嶋の北西部に位置し,高台地の下は,「年魚市潟」と称せられておりました。・・・」とある。

中世の東海道では,この「年魚市潟」を干潮のときに歩いて渡ったという。

家で,自分のHPの記述を更新しようとアクセスすると,「ふらっと旧東海道」のサイドメニューからのリンクが切れていることが分かった。Niftyのサーバーにある「美濃路」のページはよいが,あとはダメ。どうやら,ハードディスクを替えたせいでリンク先が間違っているようだ。アクセスしてくださったみなさん,ご迷惑をおかけしました。リンク修正するのは,しばらく先になります。

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2020/05/31

美濃路区間のHP完成

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綾戸一里塚/垂井追分をUPし,ふらっと旧東海道の美濃路区間が完成した。ホームページは,2019(平成31)年2月に古渡一里塚をUPしてから約一年三か月かかった。

美濃路は友人との4人旅で,6日間かかった。今,伊勢街道を歩き始めたが中断中。個人的には,中山道の関ヶ原を通って,北国脇往還の木之元宿までページを続ける予定。

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2020/01/23

古代東海道に残るヤマトタケルの東征伝説地

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石巻地区市民館の自主サークル「姫街道」で,「古代東海道に残るヤマトタケルの東征伝説地」というテーマで話をしてきた。趣味で街道歩きをしていると,東海道には,古代・中世・近世と少しずつ違った経路があることが分かってきた。旧東海道を歩いていると,ヤマトタケルに関する伝説が多く残されている。そこで,今回のテーマを設定した。

この話をするにあたって,今回取材したところは,

三重県 加佐登神社 能褒野王塚古墳

岐阜県 阿遅加神社

愛知県 氷上姉子神社 矢作神社

静岡県 焼津神社 花沢の里 日本平

神奈川県 葉山・古代東海道 走水神社

昨年の夏から取材をし,ブログにも紹介してきた。勉強になった。  

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2019/11/19

能褒野王塚古墳と井田川駅の日本武尊像

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伊勢国府跡から少し歩くと,亀山市に入る。能褒野町の表示が見え,一安心。名越の信号交差点南に,のぼのの森公園がある。のぼのの森公園の中に,能褒野神社と能褒野王塚古墳がある。1879(明治12)年,宮内省が能褒野王塚古墳をヤマトタケル陵としたそうだ。墳長90m,高さ9mの前方後円墳で,4世紀末に作られたとみられている。宮内庁が管理しているので,お墓の前までしか入れない。

能褒野神社は,その後で作られたそうだ。

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見学して,のぼのの森駐車場に行くと,ちょうど空車のタクシーが行くところ。乗れなかった。歩いて行くと,三重交通のバスが前を行く。乗りたかったなあ。ようやく井田川駅が見えたところで,13時31分発の名古屋行きが行ってしまった。次は,14時29分発。そういえば,3年前の東海道歩きのときも,ここで一時間も待ったっけ。とほほ。

でも,駅前の日本武尊像の写真は,しっかり撮れた。これで,ヤマトタケルの取材はひとまず終わり。とても良い勉強になった。

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2019/11/09

三河総社と三河国府跡

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先日訪れた豊川市白鳥町の白鳥神社のそばに,三河総社がある。律令時代,地方に派遣された国司は,赴任時と毎月一回,国内の神明帳にある神社すべてに参拝することになっていた。その負担が大きかったので,すべての神社の祭神を一か所に集め,祀ったという。三河国の五十九の神社が集められたのがこの三河総社だそうだ。

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三河総社の東に,曹源寺がある。この寺の境内から三河国府の遺構が発見された。曹源寺本堂が建つところが三河国府の正殿だったという。

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2019/11/05

焼津神社の日本武尊像

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昨日,焼津神社に行った。主祭神は日本武尊。焼津神社の由緒書きには,「(ヤマトタケルが東征のとき,)敵の罠にはまり火に囲まれてしまいます。そこで尊は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で草を薙ぎ払い,向火を放って敵を退けました。」とある。それにより,この地は「焼遺」という地名となり,焼津になったといわれる。

境内は,七五三参りの家族連れで賑わっていた。菊の展示会も行われていた。

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ひと通り見学し帰ることに。でも何かもの足らない・・・。鳥居の写真を撮りに行くと,「ありました!」 菊花展のテントの裏に。テントで石像がかくれて見えなかったのだ。あやうく日本武尊の石像の写真を撮らずに帰るところ。セーフ。でも,下から見上げると,暗くて上手く写らなかった。

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